※昨日の続きのような内容になります。


いろいろと思うことを日々綴っていますが、あくまでも私が思うことであって、人によってどう感じるのかに違いは当然あると思っています。


今日の記事は納得して刺さったけど、昨日の記事はちょっと違うと思うとか、そう感じて当たり前なのです。



書いている私でさえも今日はスラスラ文章が出て来て頭が冴えていると感じる日と、書いていて何だか違うなぁ~と思う日があるぐらいで(苦笑)




なので『ひらめき』をとにかく大事にしていて、何かが浮かんだ時はメモを取るかブログをいくつも書いて下書き保存をしています。


何日も温めて下書きの中から選んで手を加えて公開する時もあれば、昨日の今日でそのまま書く時もあって。




全く何の影響力もないし世の中にほとんど知られていないブログだけど、それでも毎日読んでくださっている方もいるので、誰が見るかわからない状況でブログを書くからにはそれなりにあらゆる方向から客観的に内容を見るようにしていて、正しいかどうかは個人の判断に委ねるとしても、自分なりに「問題ないだろう」と判断をして公開するようにしているのですね、これでも。









さてここからが本題ですが、私には好きな有名人や考え方など参考にしている人が何人かいますが、例えば最近よくヤフー記事で見かけるひろゆきさん


言ってることがもっともだと思う時と、めっちゃドライな考えだなーこれは全然(自分とは)違うなーと思う時があって、記事によって持つ印象は違うんですよね。



好きなマツコさんの発言でも、今回のはちょっと・・・と思うこともあるし好きだから何を言っても良いと思う、なんてことはない。


信頼していた亡き母や夫の考えでさえ合わないと感じることもあるので、好きだから信じているから盲目的に何でも信じるなんてあり得ないのですね(少なくとも私には)
今のところふなっしーに関してはあまりそれを感じたことがないのだけど(´∀`*)、それは知らない部分も多いからでしょう。




でもこれが普通だと思います。


だってひろゆきさんやマツコさん、母や夫と私は違う人間だから。



どんなに好きな人だってその人の言動の全てが正しいとは限らないし、何もかも自分と一致するなんてない。
良いか悪いかで語れないこともあるし(その人を)好きか嫌いだけで判断してはいけないこともあります。





大金や地位を手に入れると人が変わったようにその発言や行動がおかしくなる人が中にはいます。
それまでのその人が好きで支持していたとしても、言動の変化には気づくはずだし気づかなければいけない。



好きな人の言動はどんなことでも全てOKで、嫌いな人が良い言動をしていてもその人が嫌いだから認めないというのはやっぱりおかしいと思うのですね。




普段は問題も起こさず真面目に仕事をしているのに、たった1つの大きなミスだけでこれまでの実績が全て消えたかのように扱われるのもおかしい。



例えば今なおネットでいろいろ書かれているメンタリストDaiGoさんに対して、生活保護受給者やホームレスの人たちへの発言は間違っていると指摘するのは良いけど、DaiGoさんがこれまで歩んで来た人生を批判するとか、DaiGoさんの存在そのものは否定してはいけないのです。


発言に対して良くないと思うのは自由だけど、他人の存在を否定する権利は誰にもなくて、DaiGoさんを必要以上に叩いている人たちは結局『自分に必要のないものは世の中に不要』というDaiGoさんと同じ思想をしていることに気づいていない。





私たちはついその人の一部分だけを知って全てを知っているかのように感じたり、1つでも良くないことをしたらそういうレッテルを貼り存在そのものを批判しがちですが、よっぽど身近にいてよく会話をしてだいたいのことはわかっているという関係でもない限り、私たちが見ているのはその人のほんの一部に過ぎない。





それは自分に対することでも同じで、誰かに指摘された欠点はあくまでもほんの一部であって全てではないので、


批判された怒られた ➡ 存在を否定された嫌われた



と思ってしまってはいけないのですが、他者から一部分だけを見てつけられた評価を真に受けてしまったり、結果が出せていない自分を責めるため、いつまでも自信が持てず自己肯定もできなくなるのです。




欠点があり思うような結果が出せていないから自分はダメなんだという考え方をしていたら、そこを克服できたとしてもまた別の欠点やできていない部分を今度は気にするようになり、そうやって永遠に自分を肯定できないまま自分を追い込んで行くことになります。




完璧主義を手放し、自分に対する理想が高過ぎるのだと自覚して、欠点やできていないことだけで自分を判断して自分自身を無意識に叩くことをやめ、『完璧な人なんていない』と納得することが大切かな?と思います。





一部分はあくまでも一部分。



それで相手の全てを知った気になってはいけないし、1つの出来事だけでその人を判断してはいけない。


自分のことも、人からの指摘や批判だけで全否定されたと思い込んではいけない。





好きか嫌いかの感情を持ってしまうのは仕方がないけど、好きだから何を言っても許す、嫌いだから何をしても腹が立つではなく、「この部分は良いけどこの部分は違うよね」という見方だけするようになれれば、極端な言動にならないように感じます。




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