有名人の批判されるような行動が表沙汰となった時、けっこう同じ業界にいる人たちがその人を庇うような発言をしていますが、不思議に思ったことはありませんか?



その有名人が一体何をしたのか?にもよりますが、批判している人たちに苦言を述べたり、やらかした人の事情を汲んで本人の代わりに言い訳のようなことを言う人もたまにいますね。




確かに行為だけじゃなくその人の人格や存在まで非難したり、関係のない家族にまで嫌がらせなどするのはやり過ぎで、間違った正義感でただ人を叩きたいだけの人もいるので、「そこまでしなくていいだろう!」と言いたくなる気持ちもわかります。





ただ少し前のいじめ問題で、被害者の立場ではなく加害者側の立場で「いつまで過去のことを持ち出されるのか?」「これで彼はもう表に立つ仕事ができなくなった」と庇うような発言をする人は、自分にも似たような過去・思い当たるフシがあり、無意識に自分自身に置き換え自分を守ろうとしているような気がします。





TV番組では、今回はこういう風にこの人をいじって笑いを取るパターンで行きましょう!という演出があり、必要以上にMCたちがある一人の芸人や有名人をターゲットに無視をしたり話をスルーするシーンを見かけます。




私も笑ってしまう時はありますが、それでもたまに笑えなくて不快な気分になる時もあり、TVの中では誰かを陥れて笑いを取る、誰かの外見をネタにして笑いを取るというのが当たり前になっていて、一般社会ではしてはいけないことを平気でしている世界なのですよね。





そういう世界に身を置くと、最初は戸惑ってもそれがこの世界のやり方なので芸人を続ける限りはこれをOKとしなければいけないみたいな感覚になり、ずっと長くいたらマヒもして来るし、あいつだっていじってもらえて有名になれたのだから何が悪いのか?という考えに行き着くのかもしれません。





自分たちのしていることを正当化したい

もしも自分の過去がバレた時こんな風に叩かれたくない




そういう心理が働くので、被害者の気持ちを考えるより先に加害者を守ろうとして(=自己保身)、必要以上に過去のことを持ち出し叩く人たちがおかしい、誰でもそれぐらいのことはしているだろう、と論点を巧みにすり替えているように感じます。











日常でもそういう論点ずらし、話をそらすという行為は見られます。


都合の悪いことはスルーしたい心理が働くからです。



会社等でパワハラを指摘された側が、「自分こそが被害者だ、こんなに頑張っているのに理解してもらえない」と言い出したり、過去のことを持ち出して相手を責めるという方向に変えてしまうことがあるのですが、まさに自分にとって都合の悪いことから問題をすり替えようとしているのですね(実際にパワハラ経営者にこういうことをされた経験があります💦)





そして、ごく普通に生きている私たちも何か問題を抱えている時に、論点をずらしてどうでもいいことを気をかけ、問題を直視しないようにすることがあります。




例えば昨日のブログに出て来た私の友人。


彼女は彼は本当に自分と結婚する気があるのか?という1番の問題を直視するのが怖くて、彼の息子が結婚の邪魔になっているとか、彼の息子の考えは甘いという風に、問題を自分と彼以外の彼の息子にすり替えて彼の息子の話ばかりしていました。




不倫をしている男女の心理と同じ。


妻子のある人と交際をしている自分を正当化するために、いつまでも離婚届に判を押さない妻が悪いと言うとか、子供が高校を卒業したら妻と離婚すると言いながら、卒業しても離婚しようとしない人など。




話が少し逸れますが、


幸せになるのに条件など付けてはいけないのです。




息子が家を出たら、就職をしたら結婚をしようと条件を付けているということは、息子が就職をしても家を出て行かなければ結婚はできないし、家を出てもすぐに戻って来たらやっぱり結婚はできないとなります。




息子の問題を片付けてから結婚を・・・と考えるのは理解できますが、自分たちで幸せになろう、結婚しようと行動を起こさず、息子の行動・判断に任せているのはおかしいように思います。




彼の心の奥に、このままでもまぁいいかな?という思い、再婚して本当に上手く行くかな?という考えもどこかにあるのかもしれません。




話し合いをすると、聞きたくなかった本音を聞くことになるかもしれないので、友人は自分の考えに自信がないとかいろいろと理由を述べながら、彼の本音を知りたくない、聞くのは怖いからと論点をずらし続けているのです。





彼に「何か意見とか考えはないの?」とたまに聞かれると、その友人は言っていました。



嫌われたくないので思ったことを言わずにいるけど、彼の方も友人が何を考えているのか理解ができないので、もしもそのせいで彼が友人との結婚を迷っているのだとしたら、本当におかしなことだと思いませんか?





何の話をしてもただ聞くだけ、同意をするだけ、趣味の話や美味しい料理を食べてただ楽しい時間を過ごすだけでは、彼の方も結婚に迷いを持って当然です。





問題点はどこにあるのか?
自分のどこが良くなかったのか?
本音ではどう考えているのか。


これらを知ることは確かに勇気が要ります。




でもそこを避けていると、傷つかずに済むかもしれませんが信用は得られないかもしれないし、いつまでもそれのどこが悪いのか?という論点ずらしを続けてしまうだけ。



そして友人のように問題を直視しようとせずに話をそらしてばかりいると、本当に理解してもらえること、愛してもらえることもないかもしれないのです。

  



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