ネットで「人を好きになるという感覚がない」という女性の話を読みました。
小学生ぐらいから「好きな子いる?」と友達に聞かれる度に(恋愛感情を持っていない自分はおかしいのかな?)と思い、適当に周りに合わせた発言をしたり好きでもない男子にバレンタインのチョコレートを渡そうとしたり普通であろうとしますが、その反動で男子が苦手になったりもします。
大人になって初めて男性と付き合い始め、親からも「あなたには幸せになって欲しい」という理由で結婚するように言われるけど、結婚なんてやっぱり考えられなくて、やがて自分が相当無理をして生きて来たことに気づき彼とは別れ、これでいいのかな?という不安が消えたわけではないけど「これが私の生き方だ」と、もう自分の心に嘘はつかないと決めたそうです。
何年か前にTVでエッフェル塔と結婚をした人、何かは忘れたけど動物園の動物と結婚をした人、遊園地から撤去されたアトラクションと結婚をした人(全て外国人)などが紹介されている番組を見たことがあります。
愛犬との散歩中に飼い主が突然倒れて救急車に運ばれていた時、事情がわからない愛犬が必死になってその救急車を追いかけて来ているのに気づいた救急隊員が、救急車を止めて犬も一緒に乗せて病院に行ったという話もあります。
こういう話を聞いて外国っていいなぁ~って思うのは、日本のような感覚や考え方の『囚われ』が少ないことです。

日本では圧倒的に多数派が有利で協調性が求められ、みんなと同じことをしないと『おかしい』と言われますよね。
何でも常識か非常識かで判断されてしまい、「普通はそんなことしない」といつも誰かが誰かをジャッジしています。
多数派が正しいとは思えない時でも多数派=普通と見なされ、少数派は否定されたり自分の気持ちに嘘をついて『普通』でいようとしてしまいます。
これが人気のある有名人だと理解を得られることはあるのですよね。
その人を支えている本当のファンは何かをカミングアウトしたぐらいでは嫌いにならない。
氷川きよしさんが自分に正直に生きることを決めたと、突然雰囲気を変えてTVに登場して世間を驚かせた時も、LIVEに行くほどの昔からファンの人たちは「そんなことは前から理解していた」と戸惑いすら見せていませんでした。
最近日本でもいろんなタイプの人、様々な考えが受け入れられつつあると思いますが、それでもやっぱり家族や親しい友人にも普通じゃないことは言いにくいので言えない人の方が多いように思います。
なぜなら普通であることが求められ、
多くの人は普通であることに安心をして、
人と違う言動をして否定されるのが怖いから。
だけど『普通』って一体誰が何のために築いた概念なのでしょうね・・・?
多くの人がそれを当たり前のようにしていたとしても、おかしなことは世の中にけっこうあります。
みんながそうしているから・・・の『みんな』って誰なんだろう?みたいな。
親が悲しむからと親の望むような子供を演じ続けることが『普通』で、自分を殺して生きているのが『当たり前』だとしたら、その人にとって『自分らしく生きる』って何なのでしょう?
カミングアウトすべきとは思わないし、普通じゃない自分を隠したままの方が生きやすいのなら言わない方がいいし、普通を演じていた方が幸せかもしれません。
ただ普通とは違う自分のことを自分自身で「おかしい」とは思わないで欲しいと思います。
対物性愛のような、幼少期の親からの虐待等により人間不信となって人を好きになれないのならそれはとても悲しい辛いことですが、別にそうではなくて持って生まれた性質として恋愛感情がないのならそれはその人の『個性』。
例えば音楽に関してはみんなそれぞれ好きなテイストがあって、ロックが好きな人もいれば演歌が好きな人がいても誰も何も言いません。
「普通はロックを聴くものよ」なんて言わないのだから、音楽以外のことでも人それぞれでいいんじゃないかな~
何に幸せを感じるのかも人によって異なるので、いくら子供のためを思ったとしても親の価値観を押し付けてはいけないのですよね。
だから普通に合わせることをやめたい、しんどいと思っているのなら、もっと本当の自分を出して行って良いと思います。
(☟こちらも合わせてお読みください)
自分にとっての『普通』は誰かにとっての『普通』とは違う
相手のご機嫌取りはやめて、自分の機嫌を取ろう
自分の人生 他人に合わせずマイペースで行こう
ここまでは合わせるというボーダーラインを作る
もっと自分に誇りを持って自分らしく生きよう
時々はいい人をやめよう 平気なフリをしてはダメ