『プライドが高い』という言葉はあまりいい意味では使われていません。
「あの人はプライドが高いからね」と誰かが言う時、相手を良く思っていないケースが多い。
自尊心を守るため他者を攻撃したり、自己保身のために嘘をつき他人を蹴落としてまで自分のプライドや地位を守るような行為は確かにいけないと思います。
そういうプライドの高さは本人にとっても周りにとっても良くありませんが、人はみな本来はプライドを持って生きた方がいいのです。
世の中には、すごく便利で考えた人スゴイ!というものがたくさんありますが、使い方を間違えると人を傷つける武器になることもあります。
ハサミや包丁だってそうだし、SNSもそうですよね。
人によって使い方を間違えると誰かを傷つけるものになるとしても、ハサミをこの世から無くそうという発想は多分誰も持たないでしょう。
プライドも同じだと思います。
使い方を間違えている人の方が悪目立ちするから良くないもののように思ってしまっているだけ。
例えば私は占いで「プライドが高い星座です」とよく書かれていて、自分ではプライドが高いと思っていなかったので当たってないな~とこれまでずっとその部分は否定して来たのですが、自分らしく生きることを大切にし、何も成し遂げていなくても自分はこれでいいと自己肯定して来た生き方は、まさにプライドが高かったのだと気づきました。
人を貶めたりしないし自信満々に自慢話をしたり偉そうな態度も取らない方なので否定していたけど、プライドがあるということは自分の生き方に誇りを持つことです。
誰かと比べてどうとかではなく、自分を嫌いにならないように、人に恥じないような生き方をしたいと思うのは何も悪いことではなかった。
昨日の「イチケイのカラス」最終話を見ていたら、自己保身のため会社からの指示で沈黙を続けていたある社員が勇気を出して真実を打ち明けた後、裁判官である主人公のみちおに「ありがとうございます。 おかげで誇りを失わずに済みました」と何かから解放され安堵した表情で言うシーンがありました。
そうだ、プライド(誇り)は自分らしく生きて行く上でとても大切なものだったと、プライドに対する偏見をようやく完全に捨てることができました。
プライドは自己肯定と同じなのです。
使い方や使うシーンを間違えなければ、自分を守ってくれるものです。
自信がない、傷つきたくない、自分を好きになれないという人ほど実はプライドが高いと前から思っていました。
これはつまり、自信がない人ほど志が高く、本当は誇りを持って堂々と生きたいのだけど、プライドが高いことは世間ではよく思われていない、だからそういう生き方をして嫌われたくない、これが潜在意識の中にあるのではないでしょうか。
もっと誇りを持って生きていいのです。
人を否定したり陥れるようなことをしなければ、自信を持っていいのです。
日本では謙虚さが好まれ出る杭は打たれますが、出過ぎた杭は(有名人や社会的地位のある人)打とうとしない傾向があります。
有名人でもない地位もない普通の人が堂々としていると「何様?」「勘違いしてるよね」と悪く言いがちですが、まさにそのせいで多くの人が自信とプライドを持てないのだと思います。
言いたい人には言わせておき、嫌われたっていいじゃないですか。
そんな声に惑わされず、のびのびと自分を解放して生きる方がラクだし楽しいに決まってます。
20代の頃、「ハリウッドスターも総理大臣も私もみな同じ人間、人としてどちらが上とか下とかない」と言ったら、ある友人に「すごい考え方。 ものすごい大物か大バカ者かのどちらかだね」と言われたことがあります(苦笑)
どっちでもいいのです、そんなことは。
誇りを持ちながら自分を嫌いにならない生き方さえできれば何者でなくても構わない。
それが自分らしく生きるということだから。