毎週楽しみにしていた、今期1番好きだったドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」が終わってしまいました。


数々の印象に残るセリフや出来事がありましたが、結局何のドラマだったのだろう?と考えた時、型にハマらないこういう生き方、こういう人との関わり方もあるということを伝えたいドラマだったのかな?と。


とわ子と三人の元夫たちは四人でのわちゃわちゃがきっと居心地良くなってしまったんだろうなー、本当にこの中の誰かとやり直すとかしてしまうと成り立たなくなるし、それを誰も本気では望んでいない。



離婚した相手と友人のような関係を続けるのはあまり現実的ではないのかもしれないけど、嫌いじゃないのに一緒にいるとしんどい相手とは、少し距離を置いて接すると良い関係が築ける、ということも描きたかったのかも。


心のソーシャルディスタンスも大事


そういうことなのかもしれません。





ところで、ドラマの中でモテまくっていたとわ子さんですが、なぜ彼女のような女性が愛されるのか。


相手に多くを求めないから一緒にいて居心地がいい

愛して欲しいとは願っていない

一人でも楽しいけど誰かと一緒がいいと思っている

精神的にも経済的にも自立できている

嫌われることを恐れていない


ざっと書き出すとこのような感じでしょうか。







ドラマの中で三人の元夫が新しい恋の相手たち?と、とわ子のいないとわ子の家でホームパーティーのようなことをしていた時その女性たちにダメ出しを食らってしまうのですが、「俺たちは彼女に甘え過ぎていたよね」と、そう言えば自分たちはとわ子にアレコレ性格等のダメ出しをされなかったことに気づくというシーンがありました。



言いたいことを言っているとわ子ですが、前にブログで書いたような相手への要求がとわ子にはほとんどありませんでした。

ダメなことはダメ、嫌なことは嫌だと意思表示はしますが、男女関係なくそのまま「そういう人」として相手の良い面を見つけて付き合っている印象がありました。

(☟要求の話はこちらをご覧ください)
そもそも人の要求は難度が高過ぎるという話


自ら日々を楽しんで、誰かにいて欲しいとは思っても依存はしない。
自分の考えで生きて、自分の感情にも素直。
自分が好きだと思うものや人を大切にする。
「好き」「愛している」と言葉に出して言って欲しいなんてきっと言わない。


こういう人だから自然と愛されるのだと思います。




よく女性は「不安になるからちゃんと言葉にして欲しい」と、愛の言葉を要求しますが三人の元夫の一人である慎森(岡田将生さん)風に言うと「それって本当に必要?」


目に見えないものだけど、多くの人はそれを言葉より態度で示しています。



態度を見ていたら、自分への接し方を見ていたらわかることなのに言葉を欲しがる。


態度を見ていてもわからないのなら、相手も自分も信じられず見るべきポイントを見ていないか、好きだと思われていないかのどちらかだと思います。




人は簡単に嘘がつけるし、心にもないことだって平気で言える人はいます。
「好きだよ。 愛しているよ」と言いながら浮気をする人だっている。


三人の元夫は自分のとわ子への想いは何度も口にしていたけど、多分あれは本気じゃない。
いや慎森だけは本気だったかも(苦笑)


本気でやり直したいと思っていたら、みんながいる前であんなに気軽に何度も言わないでしょう。

ダメだとわかっていても、それこそとわ子に甘えて自分の気持ちとか未練を何度も口にしていただけ。


それを理解しているからとわ子は誰ともやり直そうとしなかった。
離婚をしたのはちゃんと理由があって、自分と三人の元夫たちとはこの距離感だから楽しく過ごせているとわかっていたから。




愛されたいのなら、相手に「愛して」と求めるのではなく、愛される人に自分がなるしかないのです
自分が異性だったとしたら自分と付き合いたい、そう言える人になる。


そのためには自信がないとか愛される要素がないと嘆くのではなく、まずは自分を好きになれるよう頑張る。



依存せずアレコレ求めない自立した人 = 一人でも生きて行ける強い人、とは違います。


1人でも幸せだし平気だけど、やっぱり誰かと一緒にいたいという気持ちがあれば大丈夫。



(☟こちらも合わせてお読みください)
自分がしてもらいたいことを相手にしてみよう

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