母が亡くなった時はそれなりの年齢だったのですが、亡くなって初めて自分がこんなにも『お母さんっ子』だったんだと気づいて愕然としました。
それぐらい大好きだったのですね、母のこと。
誰よりも私を信じてくれていて、本心が言える存在だったというのが大きかったと思います。
まさに心の支え、私にとっての安全基地でした。
離婚をして地元に戻って来たタイミングで母は入退院を繰り返し、まさにこのために戻って来たんだなぁという感じで、最期は寝たきりとなり施設でそっと息を引き取りましたが、週2回の休みは母の元に行き亡くなる前日も一緒に過ごしたので何もしてあげられなかったという後悔はあまりなかったのですが、生きている内に感謝の言葉をもっとたくさん言えば良かったなぁとは思いました。
普通じゃない父は母が亡くなった時もやっぱり普通ではなく、24時間経てば火葬できるからと亡くなった翌日の昼には火葬する手配をしてしまい、葬儀が済んだ直後には実家の母が使っていた部屋を「片付けるから要るものがあるのならすぐに持って行け、全部捨てる」と言い出して。
やっぱりこの人のこと理解できない、改めてそう思いました。
そんな感じで亡くなった直後はゆっくりと悲しむ暇もないぐらいで、仕事も休めず(1日忌引休暇を取っただけ)、心の中が空洞のような状態で毎日過ごしていました。
こういう深い悲しみはただ時間が過ぎ去るのをひたすら待つしかないのですよね。
母のことはとても信頼していましたが共依存とか依存していたわけではなかったので、今でも母と一緒に行った場所や母が好きだったものを見るとちょっとだけ胸の奥がツーンとしますが、『心の支え』なしでも元気に明るく暮らしています。
それは夫がいたり可愛がっている動物と一緒に暮らしていたり、ふなっしーとか自分の毎日を支えてくれる存在がいくつかあったのが大きかったと思います。
例えば私は昔から好きな人ができても深くのめり込むとか我を忘れるぐらい惚れて・・・とはならないのですが、それは1人にだけそこまで夢中になるのは危険と思っているからかもしれません。
建物で言えば柱は必ず四隅にありますね。
1本の柱で家を支えていたらどんなに太い柱でもバランスは悪く不安定、4本だから頑丈なのですよね。
人もそれと同じで、家族、好きな人、動物、趣味、友人、仕事etc.と自分の居場所と思えるものをいくつか持つことで自分を支えている方が良いと思っています。
結婚等で環境や状況が変わって多少かける比重は違っても、いろんな人や大切にしたい何かはそのままで、人生の支えになるものを増やすことはあってもなるべく減らすことはしたくない。
それは愛情や情熱を出し惜しむとか、もしもいなくなった時に傷つかないためにあまり大事にしないとか愛情を調整して注ぐということではなく、1人に全てを注がない=依存しないという意味です。
だから情は深い方だけど動物が死んだ時もペットロスにはならず、かなり落ち込んでも元気になったらこれまでその子に注いで来た愛情を新しい子に注ごうとしたり、母という大きな支えを失っても精神的に不安定になったりせず、時間が経てば乗り越えて行けたのだと思います。
よく恋人に依存、親(子供)に依存する人の話をTVやネット等で見かけますが、依存をしてしまうとその対象が自分から離れて行くかも・・・と思っただけで不安になり、その存在なしでは生きて行く意味が見出せないとなってしまいます。
共依存になると自分たちだけの世界を築き上げてしまい、狭いその世界だけで生きようとする人もいるので、それこそどちらかが亡くなるようなことがあったら大変なのではないでしょうか。
やっぱりどんなに好きな人でも大切な存在でも、それぞれが自立をした上で一緒にいるようにしないと、その人がいないと生きて行けないとまで思うのは『愛情』というより『依存』『執着』だと思います。
いわゆるワーカホリック(仕事人間)の人がもしも急に仕事ができなくなったら?
恋人に依存していた人が振られてしまったら?
子供を愛し過ぎて子供が自分の全てであり生きがいという親が子供に嫌われたら?
現実を受け止められずメンタルをやられてしまうかもしれません。
何かを失っても『他にも自分の居場所はある』と思える人なら、どんなに辛い状況でも自分を支えて生きて行けるだろうし、そうじゃないといけないような気がします。
そうそう余談ですが、母が亡くなってしばらくしてから実家に行くと、母の部屋にあった物はベッドやタンスとかも全部捨てられていて(捨てて欲しくない物は私の部屋に持ち出し済)、父はそこに自分が気に入った棚を置き食器とか花瓶を買い直し、母の遺影と一緒に飾っていました。
母が使っていた物や大切にしていた物は何の思い入れもなく捨てたのに、墓参りも毎月何回も行くし遺影のそばにはいつもお菓子とか花を供えているのが私からすればすごく不思議だけど、親子でも偲び方すら違うということなのですね。
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