TVで、老舗の店などが創業〇〇年の歴史に幕を閉じるとか、惜しまれつつ〇〇鉄道の廃線が決定というニュースをたまに見かけます。


「もう食べられなくなる」「もう見れなくなる」
と知った人たちは、惜しむようにその店に足を運んだり、電車の写真を撮りに行ったりします。



建物や電車の老朽化、経営者が高齢となったものの後継ぎがいない等でやめることになった場合は本当にただ寂しい、残念というより他にありませんが、やめる理由として売上や利用者が減ったためというのもあります。
これは何というか悔しいし、胸が痛くなりますよね・・・。


何度も利用を続けていれば存続したかもしれないのだから。




2017年に明治製菓が「それにつけてもおやつはカ~ル♪」というCMでおなじみのカールの全国販売を中止にする、というニュースが流れました。子供の頃から誰でも1度は食べたことがあるカール。


スーパーでもドラッグストアでも、昔は遊園地や映画館の売店などどこでも売られていたあのカールが全国販売停止。
カールのチーズ味が1番好きなスナック菓子である私にはかなりのショックでした。


幸い、私が住んでいる場所では今も買えるしネットでならどこに住んでいても手に入れられますが、国民的(と信じている)なお菓子でさえ売上が落ちて来たら無くなるのだという現実を目の当たりにして以来、食べられなくなったら困るので、『いつまでもあると思うな親と金と自分の好きなもの』ということで、欠かさずカールを買い続けています。




くだらない話で申し訳ないですが、例えばみなさんにも「そう言えばあのお菓子ってまだあったかな?」「長い間行ってないけどあのお店はまだあるのかな?」「ずいぶんご無沙汰しているけどあの人は元気にしているのかな?」というようなことはあるのではないでしょうか。



思い出して行ってみたけどすでに違う店に変わっていた、久しぶりに連絡を取ってみたけど返事はなく消息不明という経験は誰でもあると思います。


かわいい動物も、全く同じ子はこの世に1匹だけ




大切な人や物は、失ってから気づいても遅いのです。



これからも会いたい人とは疎遠にならないよう、せめて年賀状やその人の誕生日など1年に1回ぐらいは連絡を入れたり、無くなって欲しくない店や場所には足を運ばないと、いつこの世から消えてしまうかわからない。

とてもシンプルで当たり前のことなのに、なかなかできないこと。
それが、


大切なものを日頃から大切にする


です。


自分の人生が1度キリなら、今そばにいてくれるその人もこの世でたった一人だけの存在。


代わりになる人はいるかもしれませんが、いなくなったその人とはもう会えない。

親もいつまでもいてくれるわけではない。



失う前から日々大切にして過ごして行きたいものですね。

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