私たちは、学校や親に教えてもらったわけじゃないのに、知らない間に何となく植え付けられてしまった考えや常識を疑いもせず持ちながら生きています。


もちろん中には「良い学校を出て有名な企業に就職して、条件の良い人と結婚をすることが幸せよ」などと親が口癖のように言っていたから、そういうものだと疑いもせずに信じている・・・ということもあるでしょう。


昔よく聞いた、女性は仕事に打ち込むより若いうちに結婚をして子供を産んで育てる方が幸せ、みたいな考えもそうです。




そのような一般的な考えと自分の本心が一致していたら、それに従って生きることは幸せに繋がり、満たされないと思うことは少ないでしょう。




本当に自分のやりたいことができていれば、時々は大変なことがあったとしても、不満や文句ばかりを口にしない。




ただ、手に入れたいと強く願っていたのにそれを実際に手に入れてしまうとたいした物に感じなかったり、そうなりたいと願ってやっとなれたのに、いざなってみたら思いのほか楽しくない、自分とは合わないと感じることもあります。



理想&イメージした世界=自分に合っているとは限らないから。



もしもこれまで常識に従い、そうすれば幸せになれると思って生きて来たのに、今の生活や人生に虚しさやつまらなさを感じるのなら、自分が信じて来た常識を疑ってみてください。


決めたのは自分だけど、実は親がそう望んだしそれが普通だから、その方が幸せになれるからと考えてそうした人は、いつからか(何だかおかしい・・・ 自分にはもっと他にやりたいことがあるのでは?)と、疑問を感じたり不満を持つようになります。



過酷な環境でもそこで咲くのはその花の持つ強さ



日々の小さな買い物1つでも、人と同じが安心という人は1番売れている商品を選ぶと満足しますが、自分で選びたいという人は売れているかどうかより、気に入った商品を選ぶ方が満足できます。


何よりも得をすることで満足が得られる人の場合は、売れているか気に入ったかどうかより、何か良い物が半額で買えたことに幸せを感じるでしょう。



こんな風にそれぞれ自分を満たす方法は違って当然なのですが、就職・結婚など大きな決断をする時ほど、自分がどうしたいのかより、その他多くの人はどうしているのか? どちらの方が幸せになれるのか?と、一般的な考えに基づいて決めようとしてしまいます。



ある程度の年齢になれば結婚をしていないのは恥ずかしい、子供を産んで育てないと一人前じゃないように思う、そう考えて何となく結婚をして当たり前のように子供を作ると、幸せなはずなのに何だか違うと思ってしまう。




本当にその状況を自分が望んでいたのなら、結婚生活や夫にたいして我慢し続けたり不満を溜め込むのではなく、今の生活が楽しくなる方法を考え、今の状況を肯定して自分が選んだ夫のことも認めて、どうにかして幸せに暮らそうと工夫するのではないでしょうか。



自分で選んで来た結果として今そうなっているのに、相手が悪いと相手のせいにして、満たされない、幸せを感じられないと言い続ける人。




その人たちに共通しているのは自分の考えや価値観で生きていないということです。



何かを選択する時に、本当に自分がしたいことを選ぶのではなく、「こちらの方が常識」ということばかり選択していると、本来歩みたかった道からはどんどん逸れて行きます。


常識に縛られ、自分の気持ちや考えを大事にするということをしないでいると、本人ですら自分が何をしたいのか、どうすれば幸せを感じられるのかわからない・・・と、沼に沈んだままグルグルと彷徨い続けることになりかねません。



そうならないためにも、小さなことから「それは本当に自分がしたいこと?  それとも常識的な方を選ぼうとしている?」「誰のために生きているの?  自分の人生でしょ?」と自問することが大切になって来ます。




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