昔の知り合いに、仕事で後輩を育てるためと本を読みまくり、人を育てる=褒めることと覚えてそれを実践している人がいました。
褒められると確かに気分がいいし、認めてもらえたと思うと嬉しいですよね。
でも実際は褒めるようなことばかりあるわけではなく、ミスをしたら注意をすることも必要になって来るので、褒めてばかりいてもいけないのです。
子供の頃に一人娘だからと大事に大事に育てられ、親からたっぷりの愛情と褒められることしかされなかった女性が大人になって、親のような愛情を与えてくれない人に出会ったらどうなるでしょう?
「親にも叱られたことなんてないのに!」と、自分のミスを棚に上げ、注意されたり間違いを指摘されただけで大激怒したり激しく落ち込む人の話を聞きますが、叱られる、ダメ出しされるという経験がなければそうなってしまうのです。
子供時代は押さえつけるよりもその子らしさを伸ばそうと褒めたり、自由に伸び伸びと育てた方が良いですが、それでも良くないことをした時は、なぜそれをしてはいけないのか?をしっかり教えないと、自己中心で他者の気持ちがわからない人になってしまうかもしれません。
その知り合いは褒めてさえいれば良いと覚えてしまったため、いつも不自然な感じで他人を褒めていました。
褒められても心が込められていなければ本心じゃないとわかりますからね・・・。
そしてその人は「私すごく頑張ったなと自分でも思うので褒めてください!」と、自分に対する褒め言葉を周囲に要求していたのです💦
褒めておけば間違いない、そして自分も褒めてもらえたらまた頑張れる!という、褒め褒め教の信者なのかな?という言動を繰り返し、いつも他者からの評価を求めミスをすると激しくうろたえ言い訳ばかりして、『褒める』があまり役に立っていませんでした。
子供の頃に親に褒めてもらった経験が少ない、学校で先生に褒められたことがない、彼にも夫にもいつもダメ出しばかりされる・・・と、自己肯定がなかなかできないという人もけっこういると思います。
誰かに褒めてもらえると嬉しいのは確か、だけど
褒めてもらえない=自分はダメということは絶対にない
のです。
褒めてくれる人がいたところで、長い人生ずっとその人がそばにいて、何かピンチに陥った時にいつでも大丈夫と声をかけて助けてくれるのかと言えばそんなことはない。
前にも書きましたが私はコンプレックスの塊で、母にだけは褒めてもらえていても、思春期は違う自分になることを、誰も知らない土地で1から人生やり直すことばかり考えていました。
1番好きな母に褒めてもらえても、結局自分が自分を認めない限り満足できないし幸せだとは思えないのです。
だから私はあんな風に生きたいあの人のようになりたいという理想を持ち、その人に近づくためにできることをやって行き、誰に見てもらえなくても褒めてもらえなくても、自分なりに満足できたことがあると自分で自分をすごく褒めていたのですね、心の中で。
例えば絵を描いた時、ケーキを手作りした時、服のコーディネートがばっちり決まった時など、めっちゃ上手! めっちゃ美味しい! 今日のコーディネートのセンス最高じゃないの?!と、褒めてくれる人がいないのなら自分が褒めればいいの精神でずっとやって来ました(苦笑)
不思議なもので、そんなに風に好きな服装をしていただけなのにいつからか色使いがおしゃれと言われるようになったり、料理も自分が美味しいと思うものを出せば夫も家で食べるゴハンが1番と言ってくれる。
褒めてもらうことを目的にしていたら褒めてもらえないと落ち込みます。
でも自分が満足をすること納得できることをしながら自分自身を褒めていれば自己肯定もできるし、その結果として他人から認められるということもあるのです。
褒めてもらうために何かをしていないので褒めてもらえなくても何とも思わないし、いいね!がもらえなくてもSNSにUPするだけでも楽しいと思えます。
自分には自分がついている限り大丈夫という感覚を身につけて行けば、ある意味無敵なのですよね。
褒めてもらう認めてもらうをベースにしている限り、他者評価でしか自分を認められないということになります。
褒めてもらえなくても認めてもらえなくても、自分がいい加減な生き方はしたくないから一生懸命頑張る、それでいいのではないでしょうか。
他人は平気で人を裏切るけど、自分は自分を裏切りません。
人に褒めてもらうことより、もっと自分を満たすことを考えて行動して行きましょう。
自分が幸せだから一緒にいる人も幸せなのだ、ということをお忘れなく。
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