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自己肯定と自己評価は似ているようで全然違う 評価は周りがするもの
昔、野茂投手が日本人としてメジャー初挑戦(日本人メジャーリーガーとしては2人目)をした時、世間の評価や反応は薄いものでした。
「日本人がメジャーリーグで通用するわけがない」
ネガティブで自己肯定感の低い人が多い日本ならではの反応と言えるかもしれません。
あれほど素晴らしいピッチャーでさえ、メジャーでの結果を出してようやく多くの人が賞賛し始めました。
惜しまれつつ引退されたイチローさんも同じです。
「ピッチャーならまだしもホームランバッターでもないイチローはメジャーで通用しないのでは?」と当初は日米問わずそういう声がありましたが、その結果は言うまでもありませんね。
ぶりっ子キャラを売りにしたり、あざとくて嫌われていたアナウンサーも、本人が気にせず個性として確立して行くうちに、認められて逆に人気者になったりしています。
こんな風に世間の評価なんていうものは、あることを境に急に変わります。
本人は何も変わってなくて、変わったのは周りの見方や評価です。
信用を失うようなことをしてしまうと、高評価から一瞬で軽蔑の対象になることもあります。
もし、こういう周囲の評価によって自己肯定感を高めていたり自分に自信を持っていた人は、評価が悪い方に一変したらどうなるでしょうか。
否定したり言い訳する人もいれば、ひたすら謝罪して自信喪失し落ち込む人もいます。
すごく弱い人だと自信回復のためにスピリチュアル系を頼ってしまったり、心の病気になることもあると思います。
自己評価の高い人(自己愛の強い人)の場合、上記のような状況になると他者を攻撃することがあります。
周りが自分をわかってくれない、こんなに自分は優秀で努力もしているのに・・・と。
誰かや何かのせいにして自分は悪くない、こんな程度のことは誰もがしているのになぜ自分だけ責められるのか?と思うのでしょう。
どのジャンルでも成功を収め活躍している人、とくにパイオニアとなった人たちは自己評価ではなく自己肯定感の高い人たちです。
周囲の反応を気にせず、ひたすら自分の好きなことに打ち込んで迷いなく進んで行けるというのは、自分を信じて、自分のこれまでの努力を信じているからできること。
例え失敗をしても立ち上がれるし、どんな結果であったとしても努力の結果として受け止められるのが自己肯定できている人です。
人気者になるほど当然アンチも出て来るし、勝手なことをあちこちで言われます。
全ての人に評価されるとか愛されるなんてことはない。
それらを気にせず突き進むには、自己肯定感と自信を持っていないと厳しいです。
つまり、他者評価や周囲の反応によって自己肯定感が低くなったり高くなったりするのなら、まだ自分自身でちゃんと自己肯定できていないことになります。
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結果よりその過程や行動したことを認める
身近にいる自分をよく知る人や先輩等のアドバイス・意見は聞いた方がいいですが、自分がやりたいと思っていることを迷いなくやろうと思ったら、周囲の冷ややかな反応も無視するぐらいの強い気持ちでいないといけない。
応援や身近な人からの良い評価はもちろん励みになりますが、やり遂げるのは本人の強い意志と行動にかかって来ます。
そんな風に生きられない人の方が多いので、悔しさもあってつい成功している人を妬んだり、間違った自己評価(正義感)で他者を批判したりしてしまうのかもしれません。
オリンピックなどで期待通りの活躍ができなかった選手に向かって、全く関係のない人が非難するのも似たようなことだと思います。

自己肯定感が高く、本当に頭の良い人はそもそも自ら評価を落とすような発言や行動をしませんね。
自分の言動に責任を持ち、理想の自分をイメージしながら生きているので、男性なら「男の美学」に反するようなことはしないのでしょう。
昨日、羽生結弦選手を久しぶりに見てそんな事をふと思いました。
羽生選手とは真逆で、普段は偉そうにしているのにあり得ない失言をして叩かれるとすぐに撤回・謝罪・辞任をしたり、汚職行為がバレて立場がヤバくなると入院してしまう政治家などは、きっと無駄に自己評価が高い人の典型ですね・・・。
冷静に世の中を見ていると、わざわざ高額な自己啓発セミナーとかを受けなくても、自分らしさを貫きつつ上手く行っている人たちの在り方からいろいろと学び、そうでない人は反面教師にして生きて行けばいいのだなとわかるようになります。