私のような我が道を行くタイプには、ずいぶんと生きやすい時代になったなぁと思う時があります。


結婚するしないも自由、どのような仕事を選ぶのも自由。

私が20代の頃には考えられなかった発想でも全然生きて行けるようになっています。




離婚を決意した時、ある友人に「この世から男性が消えても生きて行けるわ。 動物の方が必要な存在」と言っていたほど、一時の私は男性と一緒に暮らすなんて無理、結婚なんてもうこりごりと思っていました。



離婚後の何とも言えない寂しさを紛らすために新たな出会いを求めたりしていたけど、わりと私のすることを何でも肯定的に受け入れてくれていた母は実は離婚に反対だったので、私が男性に何を求めるかの説明をした時は「そんな考えをしていたらあなたはどの男性と一緒になっても無理」と言われ、さすがに凹みました・・・。



あのようなおかしな父と結婚しただけあって、母は人の良い面だけを見て一緒にいれる人だったのでしょう。
男女の違いも理解していて、母は求めるよりも求められることに喜びを感じるタイプだったように思います。


だから今の夫と出会わなければ再婚はしなかっただろうし、どこへでも1人で行けるので、動物と自然に囲まれた環境で、時々会う友人がいて、あとふなっしーが人間界にいてくれればそれで十分な気がします(笑)








家族がいても夫婦であっても別の人生を歩む者同士の集まりであって、常に行動を共にして全く同じように生きて同じタイミングで死ぬというわけには行きません。



結婚なんてしなくてもいい、友人も要らないという人もいると思うのでそれはそれで1つの考え、寂しくないのなら問題はないと思います。



ただ自分の人生を生きるということ、1人の方が気楽、だから他人を必要としないという風にこの世の中をたった1人で生きているとは思わないで欲しい。



見知らぬ多くの人たちが見えない場所でこの世を動かしてくれているから電気もガスも水道も使えるし、自給自足しなくても食べるものがあるわけで。


孤独感は誰でも持つものですが、1人で生きて1人で死んで行くとしても、友人や恋人や親しくする同僚を必要としなくても、誰かに感謝をする気持ちは持ち続け孤立することだけはしないようにして欲しいです。





フリーでカウンセリング業を開始することになった時、友人やサポート的な交流を続けている人たちに、「〇〇さんほど親身になって話を聞いてくれる人はなかなかいない。 辛い時期に助けてもらえて、〇〇さんのおかげで今の自分がいて結婚もできたので一生忘れません」と言ってもらい、今も子供の写真を送ってくれる人やこのブログを読んでくれる人たちもいて。



こういう言葉だけは、自分を褒めることのできる私でも自分にかけることはできない言葉なのですよね。


1人で仕事を開始したけど、孤独じゃないのだよなぁ~と人の優しさや温かさに励まされました。





今はお一人様として生きて行くのも全然アリで、いろんなサービスを受ければ老後に1人でも困ることのない世の中に変わって来ました。



1人カラオケ、1人焼肉などお一人様専用のサービスもあって、誰かと一緒にいると気を遣い過ぎて疲れてしまう人にとっては、1人でいることを変な目で見られることは少なくなり、かなり生きやすくなったのでは?と思います。




それでも本当に困った時は誰かの手を借りた方がいいし、やっぱり心の支えとなる存在はあった方がいい。


1人でも平気は全然OKだけど、自分以外の存在を否定してはいけないのですね。



そして本当は寂しいのに、どうせ自分なんか誰も必要としてくれないから・・・と逃げの気持ちで1人を選ぼうとしているのならそれは違うと思うので、本心から目を逸らさず自分の気持ちを誤魔化さずに生きて欲しいと思います。




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