満たされない思いとは違って、たまに何だか寂しいと感じる時はありませんか?



それは学園祭やパーティーの後の感覚にも似ていて、楽しい時間がずっと続くわけがないのに続けば良いと願ってしまい、でも終わりを迎えた時に感じるあの気持ちとか。



賑やかな店で一人ランチをしている時、他の席の人たちが楽しそうに会話をしているのがやけに羨ましく思えたり。


あるいは、多くの人が行き交う街中でふと自分だけが独りぼっちのように思ってしまうとか。


とくに何もすることがない夜に、部屋の中で急に不安や寂しさが押し寄せて来るような感じ。





年齢を重ねると心を許せて何でも気楽に話せる友人を作るのは、恋人や結婚相手を見つけるより難しいと思っていて、会社の同僚とか趣味を通じて知り合った人とか、誰かとほんの少し仲良くなっても接点がなくなったと同時に関係も終わってしまう。


そんな時に私は何とも言えない寂しさを感じます。




家族がいても結婚をしていても寂しさは感じるのですよね。


だから人は孤独な生き物と言われるのでしょう。




ただ、一人でいる時よりも誰かと一緒にいる時の方が寂しいと感じた場合は、その相手との関係を見直した方がいい。


一緒にいるのに寂しいということは、無理をして我慢をしている状態で、お互いが理解し合えていないということだから。





そう言えば、学生の頃も同じクラスだった時は仲良くしていたのに、学年が変わりクラスが離れたとたん一緒に過ごさなくなった人とか、卒業と同時に会わなくなった人は何人もいました。



あの頃は今みたいにスマホなんてなくて、学校以外で会おうと思ったら会っている時に約束をするか、家の電話にかけるしかなかったので、毎日顔を合わせなくなると嫌いになったとか友達じゃなくなったわけでもないのに、会うことが減って行き自然消滅が多かったです。



若い頃はそんなものだとしか思わなかったし、大人になればなるほど友人を作るのが難しいなんて知らなかったので、もっと関係を大切にしていれば良かったなぁと少しだけ思ったり。





きっと電車で同じ車両に乗っている人と会話をするようなもので、目的地に着いたりどちらかが途中下車をしてしまったら、もうその車両の人たちとは会話ができないのと同じなのでしょうね。



だから電車を降りてからもずっと関係が続くとしたら、それはもう奇跡


本当に気が合って、長~く続く結婚相手や友人に出会えるのは滅多にないのかも。




そういう当たり前のことを頭では理解していても心が虚しくて、あーなんだか寂しいなぁ、人ってやっぱり孤独だなぁとしみじみ思います。





あんな会社は退職をして良かったのだと思っても、途中までは本当に楽しくて、ここが自分の求めていた職場なんだと思った会社のことは、あんなに楽しかったのにどうしてこんな風になったしまったんだろう?と、その時もやっぱり寂しく感じて、現実を受け入れるのがしんどかったこともありました。





そういう時は、自分は今寂しいのだと理解することが大切で、自分の感情を無視したり寂しくなんかない!と意地を張らない方が良いと思います。


山のように積もった小さな砂が、風に吹かれて少しずつどこかへ飛んで行って山が消えてしまう日を願い、ただ時間が過ぎ去るのを待った方が残らなくて済みます。



動物に癒されても寂しさは紛れないし、なぜか夫や親しい人にはこういう話をしようとは思えない。



話をしてしまうとラクになれるのかな?とも思いますが、センチメンタルな感情って本人にしかわからなかったりしませんか?





だから孤独や寂しさを感じた時は変に抵抗せず、何かを考える時間が与えられたのだと思い、本を読んだり他の友人に会ったりしながら自分自身と向き合って、静か~に砂の山が全部消えるのを待っていれば、いつかはまた心が晴れる日はやって来ます。



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