保育園からずっと付き合いがある姉妹のような友人がいるのですが、彼女は私とは真逆のタイプです。



親が厳しかったので子供の頃から親や大人の顔色を窺うクセがあり、安定した職に就いて不満はあっても長くそこに勤め、我慢を我慢とも思わず勉強も仕事もできるまさに優等生。



いつぐらいからか自分を少しずつ解放できるようになって表情も豊かになりましたが、保育園の頃の写真を見ると無邪気な子供らしい笑顔の私の横でクールな表情で体操をする友人の姿が・・・💧





性格は明るく前向きだけど、とにかく子供の頃はあまり表情がないという印象が強く、中学高校時代も「そんなに我慢しなくていいのでは?」と心配するぐらい我慢強い性格でした。


全然タイプが違うのにどうやって仲良くなったのかなと思い友人に聞いてみたら、私がいる保育園に途中から友人が転園して来た初日、私が話かけたのだとか。

全く覚えてない💦





こんなに真逆なのにずっと仲良くいられるのは不思議でしたが、

彼女の存在がいつも身近にあったから、

自分とは違う考え方や生き方もあると理解できたように思います。



興味を持つものも当然違うので、お互いにいろんな情報を交換したり。


たまに(お互いに)ムッとすることはあっても、気心が知れてる安心感は大きい。



どちらも基本的に子供の時からそんなに変わっていないというのもあるので、言動のパターンもわかっているし考え方の違いも理解した上で適度な距離感で仲良くしている感じが、それぞれ実家を出てからの姉妹の付き合いっぽいのです。




友人は親にして欲しかったけどしてもらえなかったことを、自分の子供にはしっかりとできているのですが、それが本当に素晴らしいと思います。



自分が愛情をかけてもらえなかったから、自分が親にかなり厳しくされたからと、同じことを自分の子供にもしてしまう人が多いので。



昨日の「最高のオバハン」のドラマの中でもハルコさんが言っていました。


我慢をしている親ほど子供に期待をして無理を押し付ける


という風に。




だから子供の人格を尊重しながら愛情をかけて、正社員として働きながら立派に育て上げているのを見ると、本当にすごいなぁと尊敬します。






10代20代の頃、誰も自分の気持ちなんてわかってくれない・・・そう思った時、

 

もう一人自分がいれば自分が望んだ通りのリアクションをしてくれるのに

と考えたことがありました。




今ならそれは思い上がりで、自分がもう一人いればいいと思うのは傲慢な考え方だとわかります。


だってそれは自分がこの世で絶対に正しいと言っているようなものだから。





誰かと仲良くなる時は、そこまで深く考えず何となく話をするようになり、気が合って楽しいなぁと思ったら連絡先を聞いて遊び行ったりするだけですが、ずっと長く関係が続く人は限られているので、やはり何か自分の人生に必要なことや違う考え方もあると教えてくれる存在であったり、自分では気づかないことに気づいてくれる大切な存在だと思います。




私が読書(小説)やドラマを好きな理由の1つに、

疑似体験ができるから


というのがあります。



いくら行動力があったとしても、1回の人生で経験できることはある程度は限られてしまいます。


でも本や映画・ドラマを見ると、自分では歩むことのない違う人生を知ることができる。



身近な友人・知り合いの話を聞くのが好きなのも同じ理由です。


友人の経験やその想い&悩みなどを聞くことにより、違う性格の自分では感じられないことについて考えさせてもらえる。




身近な人や小説などから色んな影響を受け、吸収して取り入れて行くことで、体験していないことでも理解したり共感できるようになり、人としての幅が広がるのではないかと思います。




そして自分も他の人にとって、何かを感じてもらえたり少しでもいいので違う価値観を見せられる存在でいられたらいいなぁと思うのです。

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