けっこうな大人になっていたのに、前は仕事が続かないのを親のせいにしたり、自分の思い通りに行かないとよく母に八当たりをしていました。



私は掃除が苦手なのですが、誰も掃除や片付けをしない(できない)家で育ったため、結婚をしてから家の掃除や片付けをするのが苦痛で、



実家では誰も掃除しなかったからね

ホコリじゃ死なないよ


と言い放ち、親のせいで私は掃除ができないのだと言い訳ばかりしていました。




職場では仕事だと思っているから掃除や片付けは普通にしていたので、本当はできないのではなく、自宅の掃除を自分がしたくないだけだったのですよね・・・。




都合の悪いことは○○のせいにして、やらない言い訳を並べているとラクでした。



言い訳をすれば許される、わかってもらえる、あるいは自分の判断の甘さやいい加減さを誤魔化せる、そう信じていたのかもしれません。



大輪のバラを人生に咲かせるのも、咲かせないのも自分次第




ところで、どうしてできない言い訳をするのかじっくりと考えてみたことはありますか?


本当はやらなければいけないのにやりたくない


やりたい気持ちはあるけどヤル気が起きない





だから、正当な理由があるからできないと本人は説明をしているつもりですが、残念ながら相手にはそれが、


正当な理由ではなく単なる言い訳


だと気づかれています💧





やりたいと思っていることがあるのにも関わらず、


〇〇さえあればできるのだけど・・・


と、時間やお金がない、今は仕事が忙しくそんな余裕がないと何かが足りないせいでできないとよく言っていましたが、本当は時間もお金も心の余裕も作ろうと思えば作れるのに、工夫も何もせずに自然に沸くか棚からぼた餅を持っているだけでした。



そんな考えでいたら、運よくそういうチャンスが巡って来ても結局は何もできず、きっとそのまま人生は終わる。





できない言い訳をしているのは、


ただやりたくないだけか、


本当はやりたいのにできないと思い込んでいるか



大きく分けるとこの2つ。






本当はやりたい事なのにしないままで不満を持つのは誰かと言えば、自分です。





やりたい事をやらないのはとてももったいないこと


いつぐらいからかそう思うようになりました。



そしてそう気づいた時に動けるか、やっぱり動けないかで大きな差が出るのだと。





この前、車に乗っている時に夫が「フロントガラスに前から付いている鳥のフンが気になる」と言いながら、取ろうとしない様子を見て、鳥のフンに気づきもしなかった私は、



どうして気になるのに取らないの?

私は気にしないし気づきもしないから取らないけど、もし気になるのなら私は自分で取るけどね


と言いました。



気になっているのに、一瞬でできる程度のことをしないのが不思議だったのです。






今はこの考えが行動の基本になっています。


やらなくても気にならないのならそれはしなくてもいいこと


だけど、気になるのにしないのは単なる言い訳







やってもやらなくても結果は同じなんて、やった人間じゃないと言ってはいけないように思います。

そしてやった人間は多分そんな風には言わない。



鳥のフンなんて取ろうと思えば1分あればできるし、取れば間違いなく綺麗になるのだから。




本気でやるべき時が来たらやると思っていても、鳥のフン程度のことさえ面倒に思ってしないのに、本気を出さないとできないことをするのなんて、もっと難しく感じてできないではないでしょうか。

 

夫よ、この文章をよく読んでみたまえ(苦笑)






もしも人生がつまらないと感じているのなら、

 

言い訳ばかりして人生をつまらなくしているのは自分自身


だと理解しないと前には進めません。



何かが足りないせいや誰かのせいにしていたら、人生はつまらないまま過ぎて行きます。


 

(☟こちらも合わせてお読みください)

小さな思いつきをどんどん行動に移して行こう

本当はどこにだって行ける ブレーキを踏んでいるのは自分

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご了承くださいませ。