友人と久しぶりに会って話をしていた時のことですが、年齢を重ねると若い頃には気になってイライラしていたことがある程度は気にならなくなるよね~という意見で一致しました。
仕事のこととか夫婦の問題とか、その友人が言っていましたが、
どうして私がそこまでしないといけないの?
なぜこんな程度のことも言わないとできないの?
と文句を言っていたのが、
仕方ないよね~こういうこともあるさとか、
この人はこういう人だからね~で済ませられるようになり、
それよりも今このケースでは何が問題なのか?を見極めて解決策を考えるようになったとのこと。
感情的に物事を受け止めていたのが、年齢と共に問題をクリアするための現実的な思考に変わったのだそう。
どちらが正しくてどちらが間違っているのか白黒ハッキリさせることをメインに考えてしまうと問題の本質からはどんどん逸れて行くのですよね。
だから感情で解決することなんてほとんどないのです。
もちろん感情を表わすことは大事で、感情にフタをしたり無視をするよりは感情を出す方がはるかにいい。
ただ感情をそのままぶつければ相手に本心は伝わらないし嫌な印象まで残すし、感情的に怒鳴る人を好きという人なんてきっといない。
感じたことは大切にして、それをどう受け止めるのかだけを冷静に行うというのが理想的かな?と思います。
とまぁ、年齢を重ねるとそういう感情的な状態を続ける時間がもったいない、気力と体力の無駄使いができないと思うのかも(苦笑)
残された時間を考えたら、解決しないモヤモヤを抱えている場合じゃない
そう思うのかもしれません。
だけどこんな風になれたらかなりラクになるのは事実。
イライラしても仕方がないことに囚われるより、
自分のしたいことをして行こう
合わない人をまともに相手にするのはよそう
嫌なことは嫌と言ってもいいんじゃない?
そろそろいい人でいるのをやめてもっと自由になろう
と年を重ねるごとに自然とそう思えるようになるのでしょう。
中には年を重ねるごとに頑固さや卑屈さが増し、より頑なになって他者を否定したり攻撃することで自分を保とうとして付き合いにくくなる人もいますけどね・・・。
そうそう年齢に対する考え方ですが、昨日のブログでも少し書いたように『おばさん』と思うかどうかは自分で決めたらいいと思っていて、私は自分をおばさんとは思ってないんですね。
年齢は単なる数字、名前すら呼ぶ時に必要なもの程度に思っているので、結婚して苗字が変わろうが全く気にならないし、あくまでも自分のことはこの世でたった1人の人間としか思ってなくて。
もちろん他の人のことも、同じようにそう思っています。
だから人から見ればおばさん、○○さんの奥さん、誰それさんちの子供などと思われても、他人が勝手にそういう認識をしているだけと捉えていれば、誰に何と呼ばれようが自分が自分であることに変わりはない。
だから年を重ねることも怖くありません。
おばさんという生き物ではなくて『人』だと思っているから。
好きな服を着て好きな場所に出かけ、必要とされる仕事をして、会いたい人と会って行くだけ。
おそらくこういう考えが『自己肯定』の基本で、これがしっかりとできていれば自分と人を分けて考えることができ、人にどう思われようが自分を大切にして自分を好きでいられたら大丈夫という感覚に繋がって行くのだと思います。
そして感情で物事を処理しなくなると他人の生活や人生を妬むこともなければ、誰かの幸せも心から良かったと思えるようになるし、いわゆる幸せアピールのようなSNSを見ても何とも思わなくなるのですね。
人生の後半をどんな風に生きるかで、最期の瞬間に出て来る言葉が違って来ると信じています。
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