何事もほどほどが1番です。

真面目は良いことでも真面目過ぎると窮屈に感じるし、正義感を持たない人より持っている人の方がいいけれど「自分は絶対に正しい」と正義感を振りかざし、他人批判をしてしまうとそれはもう欠点になる。



TVなどで女性タレントや女優の話を聞いていると、「私ってこう見えてめちゃくちゃ男性には尽くすタイプなんです!」と、笑顔で語っている人をたまに見かけます。



気の強そうな顔をしていても、実際は見たまんまの人ではなくて、男性の前では言いたいことも言えない人なんだろうなぁ~と何となくわかったりもします。




尽くすことが好きな女性、尽くされることで愛情を感じて喜ぶ男性もいます。


ただ、適切な範囲を超えて優しくし過ぎたり何でもしてあげて甘やかしてしまうと、人は自分にできることもしなくなり、どんどん良くない方へ行ってしまいます。


『過ぎたるは及ばざるが如し』は本当にその通り。




例えば会社で、最初のうちこそ「えー! そんなことまでしてくれたの? ありがとー!!」と感謝をされても、頼まれてもいないことを自ら進んでやっていたり何でも断らずに引き受けていると、それが当たり前と思われるようになり、感謝すらしてもらえなくなるなんてのはよくあること。



自分が勝手に好きでそれをしている。

そうわかっていて見返りを求めずに「やりたいからやっているだけ」ならいいのですが、喜んでもらおうと、感謝してもらえるかも?と思って何かを必要以上に頑張ってしてしまっても、それはありがたいとは思われないのです。




人がラクな方に流れて行くのはごく普通のこと。

自分がやらなくても誰かがそれをしてくれるのなら確かに助かる、でも自分がそうしてくださいとお願いしたわけじゃない、だから別に感謝をすることではない、という考えに行き着くのでしょう。



☟少し前にここで感想を書いたこの本には、まさにそういう考えの人ばかり登場します。
ごく普通の人が自覚なく沼にハマる様を描く「紙の月」





人が人を好きになる時。
それは何か自分と似た部分を感じるか、自分にはない魅力を感じた時。



だからそのどちらでもなく下記のような相手を求めている人は少し危険かもしれません・・・。


従順でおとなしい女性が好き、と言う男性はモラハラ臭がプンプンします。


何でもしてくれる尽くすタイプがいい、そういう男性はマザコンかもしれないし、面倒くさがりで頼りにならず甘えさせてはくれないかも。


若さや外見の美しさだけで相手を選ぶ男性は、他にも魅力的な女性が現れるとそちらに行くかもしれません。


結婚後の家事は給料が少ない方がするべき(実際にこういう考えの婚活男性はいます)みたいなことを言う男性は、合理的過ぎて女性の話に耳を傾けず共感もしてくれない可能性があります。




例えば束縛したい男性と束縛されたい女性とか、尽くしたい女性と尽くされたい男性など両者の好みが一致していたらそれはそれでいいのかもしれませんが、気に入った男性に好きになってもらおう、捨てられないようにしようと相手がそれを望んだわけではないのに尽くしたり、言われたことを何でも受け入れたりしていたら、おそらく逆効果になると思います。



つまり、女性が感謝をしてもらえる範囲以上に男性に尽くしたり甘えることを許してしまうと、男性は「この人は何でも自分の言いなりになり、何をしても怒らない人」と見下したり舐めたりして、決して大切にしようとは思わなくなります。




小銭さえあればいつでも食べられるインスタント食品を家で食べる時、ボサボサ頭でジャージでも気にしませんが、おしゃれなお店でちょっと奮発して本当に美味しい料理を食べに行く時は、身だしなみを整えその店に相応しい姿で丁寧にその料理を食べようとします。


それはその料理に特別感があるから。




人も同じかな?と思います。


その人に対して特別な感情を持つから大事にしようと思えるのであって、いつでも呼べば出て来るし、何でもしてと言えばしてくれるし何をしても怒らないのなら「大事にしなくてもいいだろう」と判断するのではないでしょうか。




特別な相手で居続けたいのなら、「この人の代わりはいない」と思ってもらえるよう、言いなりにはならないようにして自分らしさや個性、いろんな面を出して行き本音もしっかり言う。



この人だけを見て大切にしていないと自分から去って行くかもしれない


そう相手に思わせることができたら大切にされるのではないかな?と思います。

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