今さらですが、宮沢りえさん主演で映画化もされた角田光代さんの「紙の月」を読んでみました。


あらすじは、


41才の主婦である梅澤梨花は、結婚をしたもののあまり自分には関心も愛情も無さそうに感じる夫との暮らしをそれなりに上手く行っていると思うのだけど、少しずつ小さなしこりのような正体不明の違和感を持つようになる。

子供を欲しいと願っても夫はそういう行為すらしようとしなくなり、お互いに向き合って話し合うこともしないまま、傷つき釈然としない思いだけがどんどん梨花の中に蓄積される。


そんな中、友人の勧めもあり働きに出ることを決めた梨花。
最初はパートとして銀行で営業の仕事を順調にこなして行く日々。
そのうち真面目な仕事ぶりが認められフルタイム勤務となって、お給料がパートの頃のほぼ倍になった辺りから徐々におかしな方向へ進んで行く。



ある日、顧客の家でその家の老人の孫である光太と出会う。
先に気に入って誘ったのは光太の方。
親子ほど年齢が離れ、夫もいる梨花は戸惑いを見せながらも、自分が女であったことを少しずつ思い出す。


光太とそういう関係になる前もなった後も、支払いは全て梨花が自ら進んで行っている。
最初は申し訳なさそうにしていた光太も、次第に梨花がお金を出すことを当たり前に思うようになり、そのお金がどこから来ているのか?すら考えようとしない。

光太との贅沢な時間が本来自分が生きるべき正しい世界なのだと思い込んだ梨花は、あまり罪悪感を感じることなくどんどん不正に手を染めて行き、一体どこへ向かっているのか・・・


だいたいこういう内容です。


元同級生、友人、元カレという3人の視点からも梨花について語られているのですが、その3人も梨花同様『お金』『対人関係』において問題を抱えながら生きている人たちなので、はっきり言って暗くて重~~~い話でした。



文庫の裏表紙には、

ただ好きでただ会いたかっただけだった。

と書かれてありますが、最初から最後まで梨花の気持ちが(私には)見えて来ませんでした。


本の中で光太からも「ほんと、ぼくに興味がないんだな」と言われたように、彼について何一つ知りたいと思わず、本当に好きなのかどうかもわからないまま会っていただけ。

きっと光太じゃなくても良かったのだと思いました。

誰か自分を必要としてくれて、与える側である自分に対して何か『愛』らしきものを返してくれる存在がただ欲しかっただけ。


登場人物の誰にも共感は全くできませんでしたが、ただただ自分を見失い、何をしたいのかどうすればいいのかもわからないまま欲望に飲み込まれ、お金に支配をされるとこういう人生を辿るのか・・・、という人の弱さや良心の脆さを感じました。





そう言えば1週間ほど前に、これは実際にあった事件ですが、59才の非常勤職員の女性が9年程前から約1億5千万円を着服した可能性があるというニュースが流れましたが、その人は着服したお金を借金の返済や家族旅行に使っていたとのこと。

9年も気づかなかったずさんな管理体制にも呆れますが、犯罪に手を染めて得たお金を、大切な家族のために使っていたという神経が理解できません。
この人も罪悪感が全くなく、自分が何をしているのかわかっていなかったのでしょうか。


自分だけは大丈夫。

そう思っていても、知らず知らずのうちに飲み込まれていくことはあると思います。


自分のことなのに自分でセーブできない感覚。

例えばほんの些細なことですが、ダイエット中と言いながら甘い物が我慢できないとか、今回だけ、もうこんな高い靴は買わないと思いつつ1度高価な物に手を出してしまうとまたそういう物が欲しくなるなど誘惑に負けてしまうことはあるだろうし、逆に日頃は真面目に周囲に言い返すこともせず自分を抑えるように生きている人が、どこかでその溜め込んだモノを発散しようとして、誰かに対してあるいはネット等で毒を吐き出すようになったり・・・。

会えば感じ良く挨拶をしてくれる普通にいい人が、どうしてこんな事件を・・・?

ということは案外よくあること。
小さなことすら自制できていないと大きな欲にはもっと勝てないのかもしれません。