例えば「結婚は絶対にしたい。 するべきだと思う」と言う人がいて、何のためにそこまで結婚がしたいのか聞いてみると、「周りのみんながしているから」とか「いつまでも結婚をしていないと変に思われる」という、他人の目を気にして結婚をしたいと言っているだけということがあります。



老後のことを考えて1人だと不安で寂しいし死ぬ時は愛する人に見送られたい、そう考えている人もいるでしょう。


だけど自分が先に逝くとは限らないのですよね・・・💧



好きな人と結婚をしても熟年離婚するかもしれないし、相手が寝たきりになったり先に逝ってしまったり。



そうなると心配していた老後に1人は寂しいが現実になります。




だから結婚をしても100%の安心が得られるわけではないし、子供だって将来独立したり結婚を機に遠くに行ってしまったり、それまでの親子関係から縁を切られることだってある。



将来1人じゃ不安という人は経済的に自立して今いる友達を大切にし、ご近所さんと仲良くなる方法を覚え、地域の福祉介護サービス等を調べておく方が多分不安は消えます。




逆に「結婚をすると自由がなくなるからしたくない」と思っている人や実際に子供がいるから結婚をしているからと行動を制限している人は、こうあるべきという概念に囚われていることが多いです。



小さいうちは子供を中心に生活をすることになりますが、別に子供がそれを強いているわけではない。
産んだからもれなく責任が生じただけ。




毎日子供とだけ接していて自分の時間がなくておかしくなりそうなら、誰がどう言おうとたまには子供を預けて大人だけでランチをして息抜きをしたり、やりたい仕事に復帰したって構わないのです。




私の母は1才になる前から私を託児所に預けて仕事に戻り、仕事以外でも自分がこれは絶対にしたい!ということは何でもやっていましたね。


昔は専業主婦の母親を持つ友達を羨ましく思ったこともあったけど、夏休みには家族で出かけたり誕生日とかポイントをしっかりと押さえてくれていたので、寂しさはあまり感じたことがなかったような?


年齢を重ねても体が弱って寝たきりになるまでは何にも縛られることなくずーっと自由にしたいことをしていましたが、それでも母の子である私は(立派に、とはさすがに言えないけど)問題なく成長しましたから。



そう言えば母はみんなに慕われる人格者だったけど、私がこんな生き方をしているのは母の影響だったのか・・・と今になって気づきました(苦笑)






結婚をしているから子供がいるから社会人になったのだから、あれもできないこれもできない、我慢しないといけないと自分を縛っているのは世間でも家族でもなく自分自身だと気づきましょう。




家庭を壊すようなことをしたり育児放棄や毒親のようなこと、人様に迷惑をかけるようなことをしなければ、人とは違っても結婚をしているなりの、子供がいるからこその自分らしい自由な生き方を考えてもいいと思います。


人からどう見られているか、何と思われているかを気にして生きている人は、自分がそういう考えに囚われているだけだったり、自分で自分を○○すべきという考えで縛りつけているだけなのです。



結婚や子育てには我慢と苦労と妥協が必要、そういう何となく聞こえて来た誰が発しているのかもわからない声に縛られる必要はありません。



良くも悪くも他人に対してそこまで深く関心を持っていない人の方が多い。



「みんながそう言うから」という人の話を聞いて、「みんなって誰?」と聞くと10人中のほんの数人だけがそう言っているのを聞いて、みんなが・・・と自覚なく大袈裟に言っているだけというのはよくあること。




自らよくわからない一般的だと思っている考えや価値観に合わせて、無理をしてでも従わないといけない、そう思い込んでいるということもあります。



自分流の働き方、結婚生活、子育ての仕方があってもいいと思いませんか?




それぞれ個性も考え方も違うはずなのに、多くの人がこうあるべきという同じような行動を取ろうとするので、知らない間に『標準』みたいなものが出来上がり、その通りにできないと文句を言われたり自分で自分を責めたりする。



もっと自分らしく、無理をしないで楽しく続けられる方法でもいいし、人と違うことを恐れないで欲しい。



どんなあなたでも生きる価値はあって、そんなやり方ではダメ、なんてことはない。


そう思います。


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