私は多肉植物が好きなのですが、家の多肉ちゃん(笑)が大きくなり過ぎてある日ポロッと先の部分が折れてしまいました。
捨てるのはなんだか気が引けたので、それを別のプランターの土の上に置いておきました。
しばらくしてから見ると、多肉ちゃんは枯れることなく本体(?)から離れた違う場所でしっかりと生きているではないですか!
やっぱりあの時捨てたりしなくて良かった~と思いました。
折れた先もちゃんと生きているのですよね。
そんな多肉植物の生命力を感じながら、これって私たちにも言えることだなぁと思いました。
ある場所で働いていて、誰かと結婚をして暮らしていて、ある友人と仲良くしていて、何だかしんどいなぁ~無理をしているよな~と思いながら頑張り続けてみたものの、ある日「もう無理」と心が折れてしまうことってありますよね。
関係を切ったら切ったでいろんな思いを引きずったり、頑張れなかった自分を責めたり惨めな思いをしたり。
これ以上は無理かもしれないと思いながらもそこやその人から離れられない人は、違う会社や違う人と一緒にいながら笑顔でいる自分を想像できないから、心がボロボロになってもそこに居続けようとしてしまう。
今いる場所やこの人から離れたら自分は生きて行けない(やって行けない)という不安の方が大きいので、断ち切ることができないのでしょう。
人と植物を同じに考えているわけではありませんが、その多肉植物が違う場所で元気でいるのを見て、命さえあればどこででも、誰とでも、どんな風にしてでも人も生きて行けるのだと改めて思いました。
だって私たちは考えることができるし自力で行動だって起こせる分、多肉植物よりはるかに強くて逞しい生き物のはず。
邪魔をしているのは多肉植物にはない『弱い心』、マイナス思考だったり解決しようとしないままただ悩み続ける行為かな?と思います。
無理をして不満を持ちながらこの会社で働き続け、心身ともに壊れてしまったらどっちにしても働けなくなる。
そこまで行くと正しい判断ができなくなるかもしれないので、その前に転職できそうな会社を探してみよう。
もうお互いに気持ちが離れていると気づいているのに経済力がないせいで意味のない結婚生活を続け、日々ストレスを溜めるぐらいなら、まずは仕事を探して家を借りられるようになろう。
これまでずっと仲良くしていたけど、自分の好きだった友人とは随分変わって一緒にいる時間を楽しめなくなった、今までありがとうと思って少し距離を置く方がいいかもしれない。
と、こんな風にすぐに実行はできなくても、前向きに検討して小さな行動を起こして行くだけでも気持ちはラクになると思います。
無理をして我慢に我慢を重ねなければいることができないのなら、そこは本来自分のいるべき場所ではないのです。
心が折れたらもう終わり、頑張れない自分が悪いのではなくて、あなたの居場所はそこじゃないと教えてもらえたのだと思ってみましょう。
何度でも、いつからでもやり直しできるのが人生の良いところ。
それに、人間に生まれて来ただけで相当ラッキーなことです。
せっかく考えて自ら行動を起こせる人間に生まれたのだから、その能力や強みを活かして人生を楽しみ、花を咲かせる場所は自分で選ばないともったいないと思います。
(☟こちらも合わせてお読みください)
置かれた場所で咲くのが無理だと思ったら