初めてこのブログを読む人に先に説明をしておくと、私は目黒蓮さん演じる想とおそらく同じ病気の難聴者で、補聴器ナシでは会話も仕事もほとんどできません。



補聴器をしていてもセリフが聞き取れないので、テレビは補聴器を外して日本語字幕でどの番組も見ています。




なので想の立場でこのドラマを見た感想を書こうと思います。





このドラマを見るまで、自分がいつか聴力を失うかも・・・とか『難病』であることすら知らなかったんですよねぇ~(;´∀`)




医師からそんな説明はされなくて、父方に難聴者が多かったので「原因はわかりませんが多分遺伝でしょう。 治りませんので補聴器をつけるしかありません」という話しか聞かなかったように思います。



人によって難聴の進む速度は違うので、想はかなり早く進んでしまい私は30才ぐらいで急激に落ちた後は進行が緩やかなのでしょう。





途中から耳が聞こえなくなり孤独を抱えてしまった想の苦しみとか難聴を理解してもらえない寂しさ、難聴を受け入れるのに苦労している辺りは本当にその通りだと思いました。




何も悪いことをしていないのに、聞こえないせいで相手に申し訳ないと感じてしまい「すみません」といつも謝ってばかりいるとか、多分脚本家の方は実際に身近に難聴者がいるか、そういう人に話を聞いたんだろうなぁと思うぐらいリアルです。





ただ耳が聞こえなくなっただけで全ての友人関係を切ったり、大好きだった彼女に一方的に別れを告げる辺りはさっぱり理解できず(;^_^A





8年前に想が紬(川口春奈さん)に別れを告げたのも、今カレの湊斗(鈴鹿央士さん)が紬に別れようと言ったのも、相手のためを想った優しさというよりは傷つかないように自分を守りたかったのだと感じました。



実際に湊斗は「この3年間不安で仕方がなかった。 これ以上は無理」と自分がもうしんどいのだと紬に伝えていましたもんね。





そういう多くの人が持っている、弱さ&気遣いと自己保身の紙一重なところが描かれていて、丁寧な脚本とみなさんの演技力に夢中になって見ています(*^-^*)






生まれつき耳が聞こえない奈々(夏帆さん)は、想と元カノ・紬はわかり合えないという風に言っていましたが、あれは紬に勝てる部分があるとしたら同じ難聴者であることと思い込んでいるからこその言葉かな?と思ったり。






仮に誰かがお腹が痛いと言い出したとして、腹痛の経験があってもどれぐらい痛いのか、我慢できないレベルなのか?というのは本人じゃないとわかりませんよね。




会話がスムーズに進むか面倒かという意味では、聞こえる同士と片方が難聴者(あるいはどちらも難聴者)によって違う。




だけど、目が見えて耳も聞こえて会話をしていたとしても、相手が心の奥では何を考えてどんな風に思っているのかわかることはありません。




恋愛で悩んでいる人の多くは「相手が何を考えているのかわかりません」と言っているので、難聴者だからわかり合えない、なんてことはないと思います。





画像は公式HPよりお借りしています






手話をするためにハンドバッグが持てないとか、好きな人と手を繋いで歩くこともできないというのも奈々の思い込み。



そういう発想になってしまうのは残念だなーとこの前の回を見て感じました。






想の奈々への態度が思わせぶりだと言う声も出ているみたいだけど、想は耳が聞こえなくなった自分を安心して見せられる相手として奈々を大切には思っている。



でもそれと、好きになって付き合うという話が別なだけで。





嫌いになって別れたわけじゃないので、想の気持ちは8年前で止まったまま。
紬を忘れたことはなく、ずっと心の中にいたのではないのかな?





だから何年か前に知り合って手話で親しく会話を重ねて来ても、想は奈々を異性としては求めず交際することもなかった。



生まれつき耳が聞こえないことを理由に奈々を恋愛の対象にしなかったのではないでしょう。






同じ難聴者の私からすれば難聴は短所の1つのようなもので、運動ができないとか数学が苦手とか、そういうのと同じ括りだと(今は)思っています。





もちろん聞こえた方がコミュニケーションを取るのはラクだし、五体満足な人があえて何か障害を持っている人を選ぶことはしないと思うけど、私の知り合いには片方だけが障害を持った夫婦は何組かいるし。





山田洋二監督の映画『息子』では和久井映見さん演じるろう者の女性に惚れ込んで結婚しようとする男性の姿なども描かれているので。






奈々の話や想の苦しみを知り「可哀そう」なんて言葉で片付けて欲しくないし、何か障害があると言うだけで他の人とそんなに大きなボーダーラインを引かなくても良くない?と思いました。





何となく紬はそういう考え方なんじゃないかな?(そんなことで好きな人や友人に対して迷惑に思ったり嫌いになったりしない)



だから想も湊斗も紬に惹かれたのだと感じました。





奈々の、「私だったら理解できる」というのはあくまでも聞こえないことの辛さや大変さであって、それ以外のことは難聴であるとかは関係なくて、不利ではあっても奈々なりの魅力で乗り越えられること。





想と出会った頃の奈々はすごく魅力的だったのに、紬の出現でネガティブな部分が今は強く出てしまっていて。



嫉妬心とか焦りとか、もしも耳が聞こえていたらという憧れもあるだろうし、聞こえない&話せないことがコンプレックスになっているのかもしれないけど。



障害がなくても「自信がない」と恋愛も結婚も上手く行っていない人はたくさんいるように、気持ちの問題だったりするんですよね。





なので、障害があるから好きな人を諦めないといけないとか、○○できないなんて思わないで欲しいなぁ・・・というのがこのドラマを見て1番に思ったことです。




(☟こちらも合わせてお読みください)
本人じゃないとわからない辛さ(難聴について)

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