衝撃的なあの事件以降、相変わらず問題となった宗教団体のニュースが続いていますね。




政治家との繋がりは双方にメリットがあってのことだと思います。


そもそも仕事を引き受ける時(招待されて参加者として名を連ねる時に)どういう目的の会で何をしている団体なのかを把握しないまま受けるなんてまずあり得ない(;^_^A



それでも深く考えずに関わりを持って来た政治家には『票獲得のため』という何より大事な目的があるので、言われるままに引き受けるんでしょうねぇ・・・。






私は宗教を必要としない人間ですが、それでも時々は神社に参拝に行きお賽銭を入れたりはするので、宗教団体への献金を何の理由もなしに批判したり否定はできないです。




状況によっては何かにすがりでもしないと生きていけないとか、誰かを頼らないと辛くて生きることができないってこともありますからね。






ところで『献金』の意味を調べてみると、


ある目的に使ってもらうために金銭を差し出すこと


とあります。




宗教団体への献金なら、宗教活動をするためにどうぞお使いくださいという意味で渡すものなんですね。





だけど、実際に献金している人の中に、生活に余裕があって自分たちのために使うよりも宗教活動のためにご自由にお使いください、という感じで献金している人ってどれぐらいいるのでしょう?





ほとんどの人が、


今の辛く苦しい状況から脱出して幸せになりたい


そう願って、神社でお賽銭を入れて神様にお願いするような気持ちで献金しているのではないでしょうか?










例の事件を起こした人の母親は、長男が小児がんを患ったことがキッカケで入信したという風に言われています。


考えられないほどの高額な献金をして自己破産、小さな子供を放置してまで海外の宗教活動に参加していたとも。




ご主人は自殺、のちに長男も自殺。
そして次男はあのような事件を起こしているわけで、つまりどれほど献金をしても、


この家族は誰1人として
幸せになっていない。








一連のニュースを知って私が思ったのは、


正常な判断力を失った人から献金を受けてはいけない


ということです。






もしこの母親が正常で正しい判断力があったと言うのなら、彼女は毒親であり育児放棄をした罪に問われるべきかもしれません。





あれだけのお金があり、子供の幸せ(家族の幸せ)を願うのなら、良い先生を探し治療費に使えば良かったんじゃないの?子供の将来のためにしっかりと貯金していたら良かったのに・・・と普通に思いますよね。







これまでも何度か問題を解決しようとせず現実逃避をしても何にもならないというようなことをブログで綴りましたが、冷静さを失ってまで宗教団体へ献金するのは現実逃避そのもの。




経済的に余裕があって、自分自身が幸せで、世の中のために役立ててくださいと高額な寄付や募金、献金をするのなら全然OK。





だけど今の状況が苦しい、現実を受け止められないから宗教に献金をする、献金さえすれば大丈夫と思うのは完全に思い込みであって他力本願なんですね。





良いことがあったら献金のおかげ、何も変わらないあるいはさらに悪いことが起きたら献金が足りない(あなたがの頑張りが足りない)せいだと言われるとか、そんなおかしな話はありません。






それはつまり、世の中は全て金で解決できると言っているようなもんです💦





母親としてやるべきことをして、子供のためにできる限りの治療などを受けさせてあげて、その上で願掛けのような気持ちで適切な範囲で献金をしただけだったら、今回のようなことにはならなかったでしょう。





結局は人の弱さを利用するような形で、どんどん正常な判断ができなくなって行く人たちからも宗教団体は金銭を受け取り続けていた、これが1番やってはいけないことだと思いました。






幸せをお金で買うことはできません





お金は正しく使ってこそ私たちの生活を豊かにしてくれるものであって、これだけ寄付や献金をしたんだから幸せになれるはず、なんてことはないのです。

 

 


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