自宅療養中、ずっと見れないまま途中で放置していた『梨泰院クラス』を全話見ました。


今ちょうど日本版をやっていますね(こちらは見ていませんが)




確か『愛の不時着』と同じ時期に話題になっていたように思いますが、『愛の不時着』ほどはハマらず。



淡々とゆったりしたテンポで、こんな風に生きるのは難しいけど実はとても大切なことですよというのを教えてくれるストーリーでした。






あらすじなどを見ると、中卒・前科アリの主人公が復讐心をバネに飲食業界で成功を収めて行くサクセスストーリーみたいに書かれてありますが、私には自分に恥じない堂々とした生き方を貫こうとする人と、目的のためなら手段を選ばない生き方をする人との対比を描いているように思えて。




それと、正義は最後に勝つみたいな単純な話ではなく、復讐のために成功を収めても(敵を倒しても)そんなことでは心は晴れないとか、見落としてしまっていたけど幸せは自分のすぐそばにあったというような、そこにある愛とか幸せに気づいて大切にできるかどうか、というようなことが言いたかったドラマなんじゃないのかな?と。






最後まで良い部分が全くなく、同情のしようもなかった長家の会長とその長男。




結局は何を(誰を)信じてどういう生き方を選ぶのか?なのですが、それを間違えたまま間違えていることに気づこうともしなかったのが哀れでしたね・・・。





子供はどんな親であっても親からの愛情を欲しがるとよく聞くけど、その親が人として間違っていて子供に愛情を注げるような器の人間ではなかった場合、期待をしてはいけないのだと思います。




愛情を与えることができるのは、子供を含む他者を思いやったりいたわったりできるような心を持った人間だけ。


何よりも自分(会社)が1番大事で可愛い自己保身の塊が子供を愛せるはずがない。








そうそう、婚活の参考にもなるなーと思ったのが対照的な2人のヒロイン像。




主人公の初恋の相手であり圧倒的に美しく有利な立場にいながらも受け身で自分を持たずに生きている女性と、ソシオパスという性質を持っていながらそれを自分の個性にして、誰の前でも臆することなく堂々と振る舞い、好きな人に対しては常に「相手のために何ができるか?」を考えて動ける女性。




人の心を掴むために必要なのは何だろう?を意識しながら、2人の女性の違いを見ていると面白いですよ(*^-^*)



与えてもらうのが当たり前の人と、与えることを普通だと思っている人とでは行動や考え方が全然違うので。




それは長家の長男と次男にも言えますね。


受け身で親の言いなりになることで愛されたいと願う長男と、ここには自分の欲しいものや尊敬できる人はいないと見限って外の世界に飛び込んで行った次男。






毒親、ソシオパス、異母兄弟、トランスジェンダー、起業するということ、恋愛、信頼、友情、いじめ、復讐、内部告発、人の弱さと強さ、成功と破滅などかなりいろんな要素を取り入れたドラマでしたが、最後はこう終わるのね・・・という感じでした。





多数派とか少数派とか、みんなこんな風に生きている だからこれが普通とか関係なく、自分が信じたいものを信じ、大切にしたい人を大切にする。




そうやって、どんな風に生きて行くかの選択を間違えない(適当に流されない)ことが、納得できる人生になるかどうかに繋がるんですよねぇ~






まだ思考がONモードになかなか戻りませんが、明日からは仕事も再開。



普通に働ける状態に戻れたことに感謝をしてまた頑張ろうと思います(*^-^*)


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