昨夏のある日、夜8時頃に夫と一緒にバスに乗り並んで座っていたら、夫が「何かさっきから虫の鳴き声が聞こえるんだけど・・・」と言い出しました。


私は耳があまり良くないけど夫はめちゃくちゃ耳がいいので、その鳴き声らしきものがどこから聞こえて来たのかもわかったようで、突然私の背中側の服(Tシャツの上に着ていたジレを)をめくったのですが、なんと!





私の背中にニイニイゼミが止まっていて鳴いていたのです!!!(;・∀・)




ちょうどTシャツとジレの間に止まっていて直接肌に当たっていないので全く気づきませんでした。


と言うか、いつからそこにいたのよ??

どうしてここに止まっているのよ?
💧


とナゾだらけだったのですが、「背中にセミをつけたままバスに乗ってる人間なんて見たことない」「確かに!」と2人で必死に笑いをこらえ、セミは夫に捕まえてもらって降車時に外に逃がしたのでした。




こういう時にキャー!!と怖がったり気持ち悪いと思わず、笑えるっていいよなぁ、バスの座席にもたれてセミを潰して死なせずに済んで良かったと安堵した私っていいよなぁと思ったのですよね。


セミだって生きているし、長い間土の中にいて束の間の自由と命を満喫しているのだからそれを途中で終わらせるのは可哀想。

家の中にいるコバエとかは迷わず潰しますけどね(苦笑)








まぁこんな変な体験はそうそうしないと思いますが、幸せを感じながら日々生活するってこういう感覚だと思います。


車内で年配者や小さな子供連れの人、妊婦さんに席を譲るなど、別に見返りを求めたり幸せになろうと思ってするわけではありませんが、そういう誰かや動物等に優しくしたりちょっとした親切なことをするって大切なのですね。


譲ってもらった方も助かるし、「ありがとう」と言ってもらえるとこちらも嬉しくなる。




「ありがとう」はかなり大事な言葉だと思います。



これを言葉に出して言うのと言わないのとでは全然違って来ます。



心の中では思ってもわざわざ口に出して言わない人もいるし、してもらって当たり前と思って言わない人もいるけど、感謝をしてもらえないのが不満と言う人はけっこう多い。



会社でも家庭でもお店でも、「ありがとう」と笑顔で心からそう思って言える人でありたいものですね。




そして人からもそう言ってもらえるような行いを日頃からしているとそれが幸せに繋がります。




例えば夫も私も基本は真面目で仕事もきちっとしている方だと思いますが、すごくテキトーなところもあって、店でオーダーしたものと違うものが出て来ても気づかずに食べたり飲んだりしてしまいます。


食べられないものや暑いからとアイスコーヒーを頼んだのにホットが出てきた時はさすがに交換してもらうけど、シーフードパスタを頼んでボンゴレビアンコが来たのに、「写真と違って具が少ないね?」と言いながら違うものと気づかずに食べてしまう夫だったり。



店員さんが「すみません、ブラッドオレンジソーダを注文されていたのに、ピンクグレープフルーツソーダを出してしまいました💦」と正しいドリンクを持って来ようとした時は、何を注文したか忘れ何味を飲んでいるかもわかっていなかった私は「いえいえこれで大丈夫です」とそのまま今のジュースを飲み続けたり(苦笑)




こういうテキトーさも必要よねぇ~、何でもかんでもキッチリその通りじゃないとダメとか言ってたらしんどいよ・・・とテキトーな部分すら肯定できてしまう自分っていいなぁと思うし、こういう性格だから毎日笑って過ごせているのだろうなぁと思います。




0か100というような考えの人もそこまでじゃない人も、時にはテキトーでもいっか、オレンジもグレープフルーツも同じ柑橘系だしね~と思えたり、ちょっと良いことをして満足して自分を褒めてみたり、感謝の気持ちを言葉にして伝えて行けば、自己肯定もできるようになって幸せを感じやすくなるのではないでしょうか。




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幸せは、探すものではなく感じる心を持つこと

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