辛いことが起きた時や思い通りに行かなくてイライラしてしまった時など、どうして私だけこんな思いをしなければいけないの?と思う人も多いでしょう。




いい加減で思いやりのない人もたくさんいるのに、周囲に気遣いをして真面目に頑張っている自分の方が損をしたり嫌な思いをするなんておかしい、そんな風に思ったこともあるのではないでしょうか。




私も若い頃はよくそんな風に思い悩んでいましたが、思い悩んでも何も解決しませんでした💧





なので理不尽な目に遭った時は『人生何事も経験だ』と思うようにして、そこからいろんなことを『感じる』を意識し、そして『何をすればいいか考える』に切り替えて行くようにしました。






元々中学生ぐらいから悩み=解決することとは思っていて、だから悩んでもどうにもならないコンプレックスは悩むだけ無駄だと考えるようになったし、(どうして私がこんな目に・・・)となってもその思いばかりに囚われるのではなく、その出来事から何かを学ぼうと意識を変えることでモヤモヤ&イライラを手放そうとしました。



(☟コンプレックスの話はこちらに詳しく書いています)
コンプレックスは誰にでもあるから悩まない






例えば昨日のブログで書いた、盗癖があることを知らされないままその人の家に行きお金を盗まれた話は怒りがなかなか収まらないような出来事だし、(なぜこんな思いをしなければいけないの? こういうことに巻き込まれやすいのはなぜ?)と思い悩んでもおかしくなかったかもしれません。





でも、その時の私は友人の説明というか言い訳(苦笑)を長々と聞きながら



人を信じるって
どういうことなんだろう?



ということに意識が行っていたので多少怒ってはいたけど感情的に彼女を責めることはなく、すぐに切り替えができたのです。




もちろん友人が盗癖のある彼女のことを、あんなことがあったこんなこともあった、誰々が被害に遭ってみんなはこんな風に言っていたと語っているのを聞いて、そこまで聞いていて自分は被害がないから大丈夫と信じていたなんてバカなの?とは思いましたけど(苦笑)





でもこの1件は、ちょっとお人好しでのんびり生きていた彼女には良い経験になったと思ったし、私も学んだことがありました。






その出来事に何を感じ
今は何をすべきか考え
そこから何かを学ぶこと



これが大事だと思ったのです。




何も感じない何も考えない何も学ばないとなればその出来事は単なる嫌な思い出にしかなりません。





だけど何かを自分に気づかせてくれたと思えたら、それは今後『経験』となって役立てることができます。





感じる心を育てるのならアートに触れよう(はしもとみおさんの作品)





もしもずっと同じことを繰り返し考えて悩み苦しんでいるのなら、考えてもどうしようもないことを考えてしまっているか解決する方向で考えていないか、自分以外の誰かや何かが変わってくれたらいいのに・・・と願っているからかもしれません。





相手が自分のことをどう思っているのだろう?みたいなことは思い悩んでも答えはでなくて、占い師や誰かに「彼はどう思っているのでしょうか?」なんて相談してもあまり意味はありません(^_^;)




本人に聞く以外に正解はないので。





思い悩んで答えが出せたり変えて行けるのは基本的に自分のことだけ。




たまに悩み疲れてどうでも良くなって感情的に問題を解決したくなる時がありますが、感情で大事なことを判断するのだけはやめておく方がいいです。




感情的になっている自分を認め、誤魔化さずにしっかりとその感情と向き合った上で



自分にできることは何?

この出来事は
何を教えようとしている?




に意識を切り替えるようにすれば、『思い悩む』から『感じて考える』にシフトしやすくなって、後悔しない判断を下せるようになります。





ちなみに(話は少し逸れますが)人が感情的になってしまう原因は自己保身と疲れ。




プライドを守ろうとしたり傷つくことを避けようとする気持ちが強くなった時、我慢が限界になったりストレス&疲れが溜まっているのに自覚がなく心身をしっかりと休められていなければ感情を抑えられなくなります。





だから今自分はどういう状況にいてどのような感情になっているのかを把握することが大事だし、考えてどうにかできることだけを考えるようにし、悩みを手放そうとした方が生きやすくなると思います。




(☟こちらも合わせてお読みください)
立ち止まって考え、悩みは手放して行こう


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご了承くださいませ。