例えば最近よく聞く「HSP」Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)は、非常に感受性が強く何事にも敏感で、常にアンテナを張り巡らせ過剰な刺激により疲れやすくストレスを感じやすい人のこと。



他人の悩みや痛みに共感し過ぎたり、光や音に敏感で刺激に弱かったり、芸術や音楽に感動して涙を流したり、周囲の変化に敏感で他人の機嫌に振り回されそうになったり、仕事等であれもこれもしないといけない状況になると混乱してしまったり、いつも誰かや何かに気を遣ってしまうetc. 
 

こういう特徴がある人はHSPかもしれません。




お腹が空くと気分が悪くなったり集中できなくなる、想像力が豊かで空想に耽りやすいという特徴だけなら私も当てはまるので(あれ?もしかして私・・・)という人もいるのでは?



芸能人にもいますし、結婚相談所の会員や元同僚も「私はHSPなんだと思う」と言っていました。
物や情報に溢れて疲れている現代人ならではの特徴かな?と思います。



でもこれは悪いことではなくて、あくまでも個性でありその人の性質なだけではないかなと。



自分は他の人より敏感で繊細なんだ、そういう個性なんだと自覚しているだけでもラクになれたり、身近な人に話をして理解してもらうことで生きやすくなることもあるように感じます。



悩んでも仕方がないことは受け入れた上で、自分の個性と上手に付き合うことが大事


☟こちらでも感受性について述べています。
外見を磨くのも大事だけど、感性を磨くことはもっと大事




私は子供の頃から自分では普通だと思っているのに変わっているとよく言われていたので(苦笑)自覚せざるを得ない状態でしたが、でもそれは単に「普通」(一般的)を良しとする日本人らしさから離れていただけだったので、むしろ個性がなくて普通でいいなんてみんな変わってるなぁ~ぐらいに思っていました(我ながらメンタル強し)



個々の個性や才能を伸ばす(子供にしっかり考えさせる)ことより、


みんなに合わせましょう

みんなと仲良くしましょう



と、集団からはみ出ないように連帯感や協調性を重視する日本の教育のせいかな?と思います。




もちろん協調性も大事だけど、子供時代に伸び伸びと育てられず大人の都合を植え付けられるような日々を経て大人になると、忖度はできるけど自分を満足させる方法がわからないなど、本人が後から苦しむことだってあるのです。




話が少し逸れましたが、私の場合は自覚があったので「普通」に合わせることもできたし、普通を良しとして生きている人もそれはそれでその人の生き方と理解できたし、自分の考えを持って生きることは間違いではないと自己も他者も肯定もできました。


だけど親や周囲の期待に応えることを当たり前と思い自分を抑えて来た友人は、親にすら気を遣い、したいこともせず、自己主張なんてとんでもない!と安定第一&我慢の人生を過ごして来て、リスクを背負いながらも好きなように自由に生きている私のことをずっと否定的な目で見ていました。



でも最近は「そんな風に生きられるのが理想」と変わって来たようで、自分を解放することに一生懸命になっているようです。





「世界に一つだけの花」という歌は多くの人に支持されていますが、現実はこの歌のように個性が尊重されているかと言うと、まだまだ程遠いように感じます。



例えば女装家やおネエと呼ばれている人たちは、テレビの中の有名人だから肯定できるけど、自分の家族だったらと考えたら複雑になる人もいるのではないでしょうか。



身体の病気なら心配をして優しくなれるのに、心の病気や問題に対してはけっこう冷たい態度を取ってしまいがちです。


甘えからそういう言動を取っているのか、それとも本人でもどうしようもない性質から来るものなのか見極めは難しい。




自分だけじゃなく誰もがいろんなものを抱えて生きていると理解して、それぞれの個性を認め合うことができれば、もっと生きやすい世の中になるのかな?と思ったりします。

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