楽しい時間はいつまでも続いて欲しいと願うし、楽しいことは何度でもしてみたいと思います。


一緒にいて楽しいと思えたら、その人とはずっと仲良くして行きたいとなります。



楽しいから続くのは当たり前。
だから人生に『楽しさ』を求めるのは悪いことではありません。

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楽しいから続く 我慢しないでもっと楽しもう





だけど、しんどいのは嫌、面倒なことはしたくない、ラクをして何かを手に入れたいというのとは全然違う。




昔のB’zの歌に「Easy come, Easy go!」という名曲がありますが、簡単に手に入るものは簡単に失うというようなことが書かれてあって、つまりラクをして手に入れたモノはそんなに大事にしないよ、だから欲しいものは頑張って苦労して手に入れようぜ!という意味でもあるのかな?と当時の私は思っていて、さすが稲葉さんはいいこと言うよな~と感心していました。



待っているだけでも運や出会いが転がって来ることはありますが、その中から選ぶしかないわけで。
とくに何も巡って来なければ、いつまで経っても何も手に入らないまま。


自分から探しに出かけたら、選択肢が増えて、もっと広い範囲の中から自分に合う何かが見つかるかもしれない。




そのための努力はそれほど苦にならないしそんなにしんどいものではなく、むしろそれを得るまでの過程も楽しめるし、得た時の喜びが違うのでは?



寝場所もゴハンも自分で探す野良猫は大変だけど自由がある



与えてもらうのを待っているだけなら飼われている犬猫と同じになり、優しい飼い主の元にやって来たら幸せかもしれないけど、飼い主が怠慢で優しくなかったら、まずいゴハン&汚い水を与えられ散歩もさせてもらえず、具合が悪くなっても病院に連れて行ってもらえないかもしれないという、全てが運任せの当り外れのある一生になってしまいます。



この飼い主を結婚相手や恋人に置き換えて考えたら、ラクをしたいと思って自分を選んでくれた相手に合わせて任せるだけにしていて、もしもその相手が理想とは違う外れ飼い主だったら最悪だと思いませんか?

動物は飼い主を選べませんが、人は恋人も結婚相手も選べます。



主体的に行動して行くことの方がリスクがあると考える人は多いけど、ラクの先に手に入るものの方がリスクは未知数で怖いような気がします。


 

抱えているものが大き過ぎて大変、だからラクになりたいと考えるのはとても大切なことだと思います。


この2つは似ていますが、ラクをしたいは人任せで自分さえ良ければという考えが根本にあるけど、ラクになりたいと思う人は真面目でいろんなことを背負い過ぎて他人から任せられることが多い人です。



だからラクになりたいと思うのは、心身ともに悲鳴を上げている状態。
そういう時は無理をしないでラクになれる方法を考えて、重い荷物を下ろすことが大事。




人間関係でも、あ-この人は私に対して手抜きしてるなー、適当に接して来てるなぁというのはわかってしまうし、そう感じた相手を自分も大切にしたいとはまぁ普通は思わない。




仕事は効率よく行うことが大事ですが、それは手抜きやラクをしたいとはちょっと違います。


無駄を省くことが効率的なやり方であって、手抜きやラクをするのは自分のためだけにすることで、自分がしなければ誰かがやるハメになったり、仕事の質が落ちたりしますので。



人によって態度を変えいつもラクな方を選ぶ人は、人間関係でも大事な場面では逃げるし、仕事でも適当でミスが多いように思います。


何事にも常に一生懸命は無理ですが、真面目な人がちょっとラクになるようにペースを落としているなぁというのと、適当な人がまたラクなことだけしてるよ・・・というのは、見分けがつくのですよね。





楽しむとは、自分の人生をより良くしようと行動を起こすことであり、そのための努力を努力と思わないようなこと。
やらされているという義務ではなく、それをしたいという気持ちで動くこと。



ラクをしたいは、自分で動こうとせず人任せや運頼みとなり、思い通りに行かない時は何かのせいにしてしまう。



ラクになりたいは、頑張り過ぎている状態。
何をしなければいけないか?ではなく、しなくてもいいことは何か?と、やめる勇気、捨てる勇気が必要。




この3つを使い分けることができたら、自分らしくマイペースに、そして無理をせず楽しく生きて行けるのではないでしょうか。