12月8日に放送された『silent』第9話は、想(目黒蓮さん)が難聴を受け入れるまでの葛藤とその家族の苦悩、そして難聴のことを友人たちに知られて良かった、どうして8年前は隠そうなんて思ったのかな?という内容を丁寧に描いていました。
大好きだった紬(川口春奈さん)や親友の湊斗(鈴鹿央士さん)に難聴のことを伝えたら悲しませると思っていた想ですが、言わないで黙って離れた方がもっと悲しませていたことに気づきます。
みんなが普通にできていること、少し前まで自分もできていたことができなくなると、できていた記憶があるため余計に苦しくて受け入れられないことはあります。
難聴になった現実に対して少し前向きになれた想は、紬に「なんか良いことでもあった? いい顔してる」と言われた時「顔がいいのは元々」と、自分に恵まれている部分を冗談っぽく口にするほどになりました。
当たり前なのですが、全て揃っている人なんてこの世にいないです。
外側から見ていると例えばハリウッドスターとか人気実力共にある美人女優などはパーフェクトに思えるかもしれません。
だけどセリーヌ・ディオンさんが難病を公表されたように、表に出さなかったり言わないだけで、病気とか問題、悩みなどは誰もが抱えて生きています。
逆に、何にも恵まれていないという人もいません。
パッと見ではわからない取柄とかまだ気づいていないだけですごい能力を持っているとか、恋愛は上手く行かないけど仕事(職場)には恵まれているとか、親は最悪だったけど何でも話せる友人がいる、家は貧乏だったけど家族仲は良いなど。
想のように聴力を失ったことで不快な言動を取って来る人たちに傷つけられることはあるけど、優しい家族や友人に囲まれているし、何よりも外見が良いという最高のギフトに恵まれていますからね。
恵まれていることやできていることをそんなの当たり前と思い、足りないものばかり求め、できないことを嘆いている状態では幸せを感じることはできないでしょう。
クローゼットに着る服や靴・バッグがいっぱいあるのに、「まだグリーンのコートを持ってない」「あのモデルと同じバッグが欲しい」など、持っているものを大切に使おうとしないで次々と新しい物を欲しがり、誰かと同じじゃないとダメだなんて思っていると、物は増え続けるのにいつまでも心は満たされないとなります。
欠点とかできないことはあっていいのです。
完璧じゃないのが生身の人間であり、それが魅力にも繋がります。
他の人と違っているからこそ『自分』であることに意味がある。
誰かのマネをして同じ髪型、似たようなメイク&服装をすれば異性にはモテるかもしれませんが、相手はその外見とか雰囲気しか見てくれない、ということもあります。
それで「私だけを見て欲しい」と願っても無理なんじゃないのかな?
私もないものねだりをよくしたし、できていることや恵まれたものに目を向けず、何かが足りない、こんなはずじゃなかった・・・と思っていた時期がありました。
今思うと、一体何を探していたんだろう?なのですが(苦笑)
できないこと、足りないものばかり数えて不満を持つというのは、さっきのクローゼットの例え話と同じ心理状態になっているのですね。
仮に今ある世の中の全ての服などを揃えたとしても、新しい商品は次々出て来るわけで。
つまり、永遠に手に入れたいものが完璧に揃うことはない。
目標とか達成したい目的のために必要なものを求めるのはいいですが、○○がないとダメ、○○じゃないと上手く行かない、○○しないと幸せになれないというような考えはほとんど『思い込み』なので。
恵まれたものに気づかないと感謝の気持ちは薄れるし、いろんな人やもの、出来事に対して感謝ができない人はそのせいで人生が満たされなくなります。
それでも自分には○○が足りない、できないことを気にし続けてしまうのなら、何のためにそれが必要で、それが手に入ったら一体どうしたいのか、それができないとどれほど自分は困るのか、その代わりにできることはないのか?というのをじっくりと考えてみると良いかもしれません。
足りないもの、できないことばかり気にかけているのは、そうじゃないといけないと自分へ圧力をかけ脅迫しているようなもの。
そんなことを繰り返していたらそりゃしんどいに決まってます(;´∀`)
運動神経のない私が運動を得意にしたいと無理をしてストレスになるまで頑張るより、物を作ったり文章を書いたりなど今の自分にできることをしている方がはるかに楽しいしそれで何の問題もない。
良い意味での『諦め』も時には必要。
ないものねだりをしてあがき続ける人生と
恵まれたものに気づいてできることを楽しむ人生
どちらの生き方を選ぶかは自分次第ですよ。
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