私たちは
やりたいことを思い浮かべながら
できない理由を探してやらない
という選択をしてしまうことが多々あります。
そして「したいけどできない」「頑張っても無理」という風に言います。
やりたいことを即行動に移せる人からすれば不思議で仕方がないでしょう(;´∀`)
ではやりたいことがあるのにできないと思い込み、理由を見つけて自ら制御してしまうのはなぜだと思いますか?
私はもう1人の自分の声を聞き過ぎて本心を見失うからだと思っています。
目標を立てたり決意してやる気を出したのに、
今日じゃなく来月からでいいんじゃない?
それを達成したところで
何も変わらないと思うけどね
また新しいことを始めようとしてるけど
どうせ途中でやめるんじゃないの?
みたいな、やる気の後押しをしてくれるような内容ではなく否定するような声が頭の中で聞こえるってことありませんか?
やる気と同時に否定的な考えが浮かぶという意味です。
何かをしたいと思ったのが本心(本当の自分の声)だとしたら、それを打ち消すように制御してしまうのがもう1人の自分。
迷いなく本心だけで進んで行ける人は、良い意味で周りの声とか意見を聞かない(気にしない)人。
もう1人の自分を持っている人はその逆で、周りを気にして誰かの意見を聞き過ぎる人じゃないかな?と。
つまりもう1人の自分とは、子供の頃から親や大人によく聞かされて植え付けられた考え方を正しいと信じ、本心よりその声に従って生きようとしていろんなことを我慢している自分です。
やりたいことを我慢しているだけじゃなく、言いたいことを言いたい相手に言えない人、NOと断ることができない人、本心に気づかないフリをして上辺の付き合い等を大事にする人なども、もう1人の自分に支配されているか、建前が本音にフタをして隠そうとしているのかもしれません。
相手に合わせている方が衝突は起きにくいし、挑戦しないで無難に生きていれば大きな問題も生じないかもしれないので、それが賢い生き方だと言われたら「そうかもね」と思いますよね。
でも、だったらどうして私たちは悩むのでしょう?
正しい賢い生き方を選んで我慢することが大事だと言い聞かせ、恥をかいたり失敗や傷つくことを避ける無難な生き方&人付き合いをしているのに、それでもザワザワしたりモヤモヤしてしまうのはなぜだと思いますか?
私は悩む=本心が苦しんでいる状態だと考えます。
誰かに酷いことをされた(言われた)というような出来事は、本心やもう1人の自分など関係なく腹が立ったり傷つきますが、例えば親の言う通り大企業に就職し安定した収入を得ているのに満たされない思いがずっとあるとかそういうのは、偽りの自分で生きていると感じるからかもしれないのです。
とくに、これが普通こういう生き方が標準というのに必死に自分を当てはめようとしては上手く行かず苦しんでいる人は、本心を見失っていて周りと同等でないとダメだと決めつけているのでは?
本当はどうしたいの?
誰に何を言えたらラクになる?
どういう状態になれば満たされる?
誰にどうして欲しいと思っているの?
些細なことはもう1人の自分で適当にやり過ごしてもいいけど、無理や我慢にずっと苦しんでいるのなら時々はこんな風に本心の声を聞いてあげましょう。
もう1人の自分の言う通りに生きて本当の自分が虚しいのなら、心から満たされたり幸せを感じることは多分ない。
100%じゃなくていいんです。
これだけは大事にしたいってことは本心を優先させましょう。
もう1人の自分の声をかき消すことができるのは自分しかいません。
そのためには本当の自分を認めて、本心を守ろうとする強さが必要。
「強くなんてなれない」というもう1人の自分の声に負けないでくださいね。
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