ある人が、信じていた人に裏切られてしまいもうその人を信用できなくなってしまった、1度信用した人のことはずっと信用すると決めていたのに、裏切られたと感じたとたんその人が信用できなくなったということは、自分を信じていないからなのかな?と悩んでいました。
その時 私は逆だなと感じたのです。
信じていたけど、その人の言動をしっかりと見ることができたのは自分なりの感覚や判断力を身につけて自分を信じているからこそ。
自分を持っていたからその人のことをもう信用するに値しないと判断できたのだと思います。
自分を信じていない、自信がないという人は1度信用した人を盲目的に信じたり、異変や違和感に気づかない、気づいても自分には関係ないと思ったり、気づかないフリをするでしょう。
自分を信じるということは、
正しいと思ったことを言動に移すことでもあります。
なので誰かを信用するにはまずは自分を信じていないと本当は無理なのですが、多くの人は自信を持てないまま判断できないまま誰かを信じようとしたり誰かと関わりを持つので、こんな人だと思わなかったとガッカリしたり傷ついたりしてしまう。
また別のある人に「どういうところを見て信用できるできないを判断していますか?」と聞いてみたところ、「口が達者ですぐに仲良くなろうとする人は信用しない」という答えが返って来ました。
自分なりの経験から、そういう人は信用できないと学んだのだそう。
私も本当にそうだなと思いました。
詐欺師の手口って警戒心を抱かせないように悪い人間じゃありませんよ、あなたにとって良い情報を教えますよという感じで近づいて来て、相手が望むような言葉をそれこそ息を吐くように口から出してその気にさせ、自分を信用したとわかれば心情に訴えながら自分の要求を上手に出して行くのですが、身近で出会う信用できない人はほぼ詐欺師と同じやり方をしているのですよね。
パワハラの自覚なくターゲットを次々と変えてスタッフを攻撃をしていた小さな会社の社長、最初の頃はやけに腰が低くフレンドリーで「みんなには感謝しかない、この会社はスタッフを何よりも大事にします」と泣きながら語るようなことをしていたのですよね・・・(演技だったんだろうな~)
会社が安定してから急に「会社があるから君たちも働けるし給料がもらえるのだよ。 社員より客より会社が1番大事なのは当たり前」と言って、気に入らないスタッフには給与を下げるぞと脅したり💧(まぁこれも1つの考えですけどね。パワハラは許されませんが)
ここまで変わってしまった人を今後も信用するかしないか、信用していなくてもそこで働き続けるかどうかは自分で判断するしかない。
違和感を持ったまま信用できない人と一緒に居続けることを選ぶ人は、何かメリットがあるから割り切れているのでしょう。
「みんな我慢をして耐えながら続けているのだからあなたも頑張って!」とか言われたら、それは悪魔のささやきだと思って無視をしたっていいのです。
上手くやれている人たちもいる中で、「私はこの人たちとは合わない」という風に判断しようと思ったら、自分を信じていないと難しいように思います。
この人といるのは我慢できない、こんなことをするのは辛いと思っているのなら自分の気持ちに正直になればいいし、一緒にいると決めたのなら迷わず自分を信じて突き進むしかない。
不満や不信感を持ちながら無理をしている人は、自分の利益のために、あるいは言い訳をしながら信用できない場所や人から離れようとしないから我慢が続くのです。
信用できる人・できない人、信用していい人・してはいけない人はいます。
ただみんな基本的には自分は正しいと信じて生きているので、その人の行為を正しくないと本当にジャッジできるのは法律ぐらいだし、それすら誰かが考えた内容なので絶対に正しいかどうかなんてわからない。
だから身近な人のことはそれぞれの価値観や考えで判断するしかなくて、その人を信じるかどうかは自分を信じられるかどうかにかかって来るのです。
★美輪明宏さんの名言
おいしくて体に悪いものを食べて病気になるか、
まずくても体に良いものを食べて健康でいるか。
食べ物も人間関係も同じ。
(☟信用してはいけない人の特徴はこちらからどうぞ)
こういう人には要注意 身近に潜むヤバイ人
見る目がないというのはどういうことか?