私はマツコ・デラックスさんが好きで番組もわりと見ているのですが、たまに(この人、大丈夫かな?)と、余計なお世話なんだけど心配になる時があります(;´∀`)




「長く生きている中で本当の幸せを感じたことがない」と言われているそうで、実際に番組での発言を聞いていてもかなりネガティブなコメントをされています。






例えば海で半裸ではしゃいで楽しそうにしている人たちを見ると、恥ずかしい、はしたないと感じ



自分はそんな風に見られたくない



という意識が働くので、楽しそうにしている輪には入っていけないのだそう。



だけど無邪気に無防備な姿をさらして楽しめている人たちの方を『正しい』とも言っている。





そして、ものすごく自分を客観的に見ていたり突き放したり諦めの気持ちなどが合わさった人は幸福感を得にくいのでは・・・と語っていたようです(この回は見逃したのでネット情報によるもの)





TVに出させてもらっていくつもの番組まで持つようになり、さまざまなゲストと関わりを持てていることは幸せなことだと思うし感謝もしているのに、なぜか自分を幸せだと思えないらしい。




恵まれていると理解していても、自分が望んだ状態ではない場合『ありがたい』と心の底から思えないので、マツコさんが言っていることはもっともなんですね。






幸せを感じられない人は、幸せとはこういうものという固定イメージがあって(結婚して子供がいることとか、成功することなど)、誰かと比べると自分はそこまでじゃないorそうなっていないから幸せじゃないと感じることがあります。





あるいはブログで何度か書いているように、周りに合わせたり親の期待に応えるように良い子でいようと生きて来た人の場合、一般的には幸せと思われる状況にいても、本当にしたいことはできていないなど本心で生きていないから満たされない=幸せだと思えない、ってなることもあります。






マツコさんは大勢でワイワイ楽しそうにしていることを幸せな人たちと思っているみたいですが、楽しそう=幸せではないし、楽しむってこともみんなでワイワイ盛り上がることだけではないです。






私もどちらかと言えば冷めていて客観的に物事も自分のことも見る方。

そして内向的な性格をしているので大人数がそもそも苦手。



学生時代など大勢で飲みに行ったりサークルの合宿に参加したり、社会人になってからもコンパをしたりグループでスキーに行ったりワイワイをそれなりに経験しましたが、そういうことで幸せを感じたかと言えばNOです。




その場は深く考えずに楽しんでいたけど、みんなでスキーに行っても結局は気の合う友人と2人で休憩してそのまま滑らずにいつもの会話をしていたり。




たいてい家に帰るとホッとしたので、楽しかったけど(あー幸せ)とは思ったことはないような・・・?




だけど1人でしたいことをしている時間、好きな人のことを考えている時とかLIVEに行ってすぐ近くで好きな歌が聴けた時とか、猫が寄って来たのでナデナデしている時などは(あー幸せだなぁ)と思うし、母が亡くなった後で母と過ごした日々はとても幸せだったと思いました。






つまり、マツコさんが言うようなあっち側(みんなでワイワイ楽しめる人たち)だけが幸せなのではなく、どっち側にいようと



素直な心で感じることに許可を出し

自らを満たすことができていたら

いつでも1人でいても幸せ



なんですよね、本当は。





画像はお借りしています





家でも職場でも誰といてもこれは多分間違いなくそうだと思うのですが、私たちは


安心感



これを抜きにして幸せを感じることはありません。



だから私は鬼のような顔で怒ってばかりいた父との時間で幸せを感じたことはありません。





そして、社会的地位がありお金もあって仕事や交友関係がどれほど充実していても1人になった時や家に帰った時にふと



孤独感



これを感じると、やっぱり心から幸せとは思えない。




人気のある有名人や経営者が孤独を感じやすいのは、多くの人に囲まれている分、裏切りにあったり利用されそうになるなど、味方もいるけど敵(アンチ)も大勢いるという状況に身を置いているから。






マツコさんの場合もこれかな?と。



セクシャルマイノリティのことも関係していると思いますが、心を閉ざして誰のことも心底信頼ができていない&安心感がなく孤独感が強いせいで幸せだと感じられない、と勝手に推測しています。






心から私を愛してくれる人なんていない、誰も私を受け入れてくれない、何をしていても心底楽しいと思えない、だから自分は幸せになれないと思い込んでいる人は、基本的に『受け身』だと思います。





自分から与えて行ける人、つまり愛情を注ぐ相手(片想いでもいいし動物でもOK)を見つけられる人、趣味や推しの存在など夢中になれるものを持っている人は、自ら幸せを感じられる時間を持とうとしているので、日常生活の中でいくらでも幸せを感じられるんですよね。






そういうのがない人は、幸せ&満足感は誰かが与えてくれるものという気持ちがどこかにあるのかもしれないし、自分に必要なものがわかっていなくてそれを探そうともしていないのではないでしょうか。




あるいはそういう行動を頑張ってしているのに幸せだと思えないのなら、やっぱりそれはどこかで無理をしている(フリをしている)のでしょう。






「どうして幸せになれないんだろう?」とマツコさんは言っていたようですが、幸せってなるもんじゃなくてどこにいても誰といても(誰かといなくても)何をしていてもふと感じるもの





頭では幸せな状態だと理解をしているのにそう感じられないのは、



自分が何に幸せを感じるのかわかっていないか諦めている

世間一般的な価値観などに合わせようとしている

厳しい世界に身をおいて人間不信になりかけて心を閉ざしている

とにかく忙し過ぎて脳と心が疲れている

自分で自分の機嫌を取ることができていない



からかな?と。




やりたいことをいろいろと口にしているのにそれを行動に移せていませんものね、マツコさんは。



気遣いのできるとても優しい人なので、みんなの期待に応えることを優先し、自分自身を後回しにしちゃっているから自分のしたいことをするための時間が作れなくなっている、ということもあるような?






『どうせ私なんか』と諦めの気持ちを持つのは、これ以上傷つきたくないと心を閉ざしていることになるので、余計に幸せを感じられないように思います。




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