フォローしているインスタグラマーにえらせんさんという人がいるのですが、その人が「愛とは」というテーマの中でこんな風に書いていました。


「愛する人は、気分では変わらない。(中略)

感情によって変化するものは、まだ愛とは言えない」



うーーーん・・・。
確かに!!!


恋と愛の違いについて書かれてある記事はよく見かけるし、愛についてもいろんな人がいろんな考えを述べています。
よく聞くのは、無償で変わらない愛情を注げること(見返りを求めない)=本当の愛という説。


つまり母親が子供に対して持つ、自分よりも大切というほどの深い感情、動物と一緒に暮らしている人ならその動物に対する見返りを求めない感情、何にも左右されない強くて深い情、それを『愛』と呼ぶのかな?と思います。


この話を女性数人でしていたら「だったら、ほとんどの夫婦が愛まで達していないよね?」とある友人が言いました💧

もう苦笑いするしかないですよね・・・。


3本のバラの花言葉は「愛しています」




相手に対してイライラしたり思い通りにしてくれないと減って、何か嬉しいことがあるとまたちょっと増える。
そんな風に、相手の言動で増えたり減ったりしているうちはまだ愛とは呼べないということ。



じゃあ今そこまで達していないのに一緒にいる夫婦って何・・・?

何で結びついているのでしょうね??



こういう形が見えないもの、重さや大きさを測れないようなものに限って、とても大事なものだったりします。
愛もそうだし、信頼、友情、誠意、真心、優しさ、勇気、希望、目標etc.
どれも大切なのに、目には見えないものばかり。



でも人は、『言葉』が使えるし、これらのものを『行動』で示すことができる。


愛と思っていたものが実は愛じゃなくて、増えたり減ったりしてしまうとしても、夫婦の場合は二人が同じ方向を向いていて、家族仲良く幸せに暮らして行くという目標が一緒なら、それでいいんじゃないかな?と思いました。



愛がないのなら夫婦でいる意味はない、なんて決めつける必要はない
のでは?


今はまだその域まで達してなくても、これから達するのかもしれないし。



自分の結婚を「失敗した」と言う人がいますが(私は前の結婚の時にそう言ってました)、失敗だったかどうかは、いくつもの山を越え谷を越えて、寄り添って添い遂げた人生最期の瞬間に何を思うか?までわからないような気もするし、途中下車(離婚)をしたのなら、それはお互いの人生の目標とか生き方が違うと気づいただけで、愛まで到達しなかったのは事実だけど、失敗したと言うのは相手に失礼だなと今になってそう思えます。


絶対に変わらないものなんてすご~く少ないので、だからそれだけ誰もが『愛』を欲しがり、尊く思うのかもしれません。



そしてこんな風に「愛って何?」を真剣に考えると、そんなに簡単に得られるものではないし、簡単に口にできる言葉でもないのだと気づかされます。