今日はいつもに増して?個人的な解釈で話をします。
ある友人は自分のことを気を遣い過ぎる性格という風に言っていました。
だけどそれが相手には伝わらず空回りすることが多いとも言っています。
仕事でも誤解されて嫌な気持ちになることもあるようです。
『気を遣う』とは、相手のことを気に掛けて神経を使って何かを言ったりしたりすること。
配慮、心配りという言葉にも置き換えることができますよね。
相手のことを気に掛けて配慮して何かを言ったりしたりしているのに、それが相手に伝わらないって悲しい。
でもそれはなぜだと思いますか?
私が思うのは
相手の立場になって考えていない
つまりそこにあるのが思いやりではなく、
嫌われたくない
怒られたくない
この人に好かれたい
いい人に思われたい
できる自分をアピールしたい
というような、自分のために気を遣っているからでは?ということです。
『気遣い』の意味を調べると、相手のことを気に掛ける、気を配るとは書かれてあるけど、どこにも
相手にどう思われるかを気にすることとは書かれていません。
だけど、相手にどう思われるかを気にして気を遣っている人の方が多いのでは?

それに対して、思いやりを持つというのは
相手が喜ぶことをする
相手の助けになることをする
相手の気持ちになって考える
相手の立場を想像して発言する
という感じで、そこに
私がどう思われるか?
は入って来ないのですね。
そして思いやりを持つことは相手の顔色を窺って機嫌を取ることでもありません。
相手の顔色を窺ってゴキゲンなってもらおうとする時って、やっぱり自分の中に嫌われたくない怒らせたくないという思いや何か目的が隠れているのではないでしょうか。
だから、気を遣って配慮したことは気づかれないことや感謝をされないことがあるけど、本当に思いやりを持って相手の立場になって何かをした時は感謝もされるしその思いは伝わると思います。
その気遣い、誰のためにしていますか?
前述の友人は、私にも気を遣って例えば「ここでお茶しない?」程度のことすら言えなかったようで、そのことを愚痴・不満としてSNSに綴っていて・・・(;・∀・)
友人はいつも相手のために気を遣っていると思っているようですが、実は自分のためだったり、自分が言いたいことが言えないだけで相手のためになっていないことを気遣いだと勘違いしているのですね。
その結果「気を遣っているのに相手にそれが伝わらない」となるのでしょう。
自分のために気を遣っているのなら相手に伝わらなくて当たり前。
相手のことを考えて配慮したのなら愚痴や不満が出て来るのはおかしい。
自分のために誰かに気を遣って疲れるなんて実はすごく変なことだと思うのですね。
つい私も勝手に気を遣って感謝されないと内心ムッとなりがちですが💦、誰のためにそれをするのかを考えて、
相手のためなら思いやりを
自分のためなら気を遣うのではなく思っていることを素直に伝える
この2つをしっかりと分けることが大事かな?と思います。
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