ある日、ふと30年ぐらい前と今の違いを考えてみたのですが、PCは一般家庭において個人が趣味で使うものではなかったように思うし、携帯電話はあったけど今みたいに誰もが持ち歩いてはいませんでした。
結婚に対する考え方や夫婦(男女)の在り方も違って来ているし、ひと昔前はマニアックな人やオタク系の人たちは少し肩身の狭い思いをしていたように思いますが、今ではオタクに特化した結婚相談所もあれば、コスプレは自己表現方法の1つになっていたり、アニメは日本が世界に誇る文化にすらなっていますよね。
プロのゲーマーとかyou tuberという職業を想像したこともなければ、一般人でありながらTikTokやインスタで有名になってフォロワーが何十万人とか、アナログ人間の私にはついて行けないことも多々ありますが(苦笑)、とにかく特にスマホの登場で、さらに本当にある意味何でもアリ(可能性として)の自由な時代に変わって来たように感じます。
何でもアリな時代になると生きやすくなったのかな?と思いますが、みなさんはどうでしょう。
生きやすくなりましたか?
『普通』であること、そして多くの人が歩んで来た道を同じように歩むこと=安心・安定した生き方だと信じて来た人たちからすると、人生の途中から何でもアリで個性も自分らしさもどんどん出したもん勝ち!という世の中に変わると、自分らしさって何だろう?って戸惑ってしまう人もいるんじゃないかなぁと、思います。
例えば、結婚をするのもしないのも、子供を持つのも持たない人生も本人の自由という風に変わって来たけれど、やっぱり結婚をしている人の方がまだまだ多い中で、自分らしくあるために「結婚はしない」「子供は欲しくない」と言い切るって、自分を相当しっかり持っていないと難しいように感じます。
人はみな自分が正しいと思って生きているので、どうしても自分とは異なる考えの人を否定しがち。
若い世代の人たちが固定概念に囚われず、仕事でも新しいことをどんどんしていますが、例えば人生のほとんどを昭和で過ごした世代の人は、そう簡単にこれまでとは違う分野に手を出すとか、これまでとは違う働き方や考え方を受け入れるってけっこう難しい。
頑固おやじと言われる人たちも、そう教えて来られて、それを信じて生きて来たので、子供や孫が自分の知らない職業を選ぼうとしたり、服装や髪型なんかも自分の価値観では考えられない姿を見せられると、否定したいというより、どう受け止めていいのかわからないのかもしれません。
最近20年振りぐらいに学生時代の友人と会ったのですが、「私たちは昔の人と現代の人とのちょうど中間ぐらいで、どちらの考えや感覚もそれなりに理解できるからいい年代に生まれたのかもね」と、何かの流れからそういう会話になりました。
このブログは「これが私の生きる道」というタイトルで、(自分らしく自由に生きよう)をテーマに書いていますが、私が思う『自分らしさ』というのは、別に普通なんてつまらないとかもっと個性を出して生きましょうという意味じゃなく、ただ自分のしたいことをして、自分が満足できる日々を送れたらそれでいいということです。
だから時代がどう変わろうと、その時その場の状況で自分なりの楽しみとか好きなものを見つけられたら、それが自分らしいということだと思っています。