少し前に菅田将暉さん主演のドラマの話を書きました。
ドラマの中のセリフの、
真実は人の数だけあるけど事実は1つという話に触れましたが、もう少しそこを掘り下げてみようと思います。
例えば同じ料理を、味覚の異なる人たちで食べると「美味しい」「あんまり美味しくない」と言う人に分かれます。
これは当然です、味覚が違うのだから。
でも全く同じ料理を、緊張する苦手な人と一緒に食べると「味なんてわからなかった」となるかもしれないし、好きな人と楽しい会話をしながら食べると「あー美味しかった♬」ってなり、同じ物を食べても味の感想が変わって来ます。
これが人の数だけ真実があるということ。
花火やイルミネーションは1人で見ても誰と見ても同じはずなのに、好きな人と並んで見る方がはるかにきれいに感じられ、『好きな人と一緒に見れて幸せ』という良い思い出になります。
この場合、花火は誰と見ても変わらない、が事実かもしれませんが、そのような考えでいる人より、好きな人と見た方が美しく感じると言う人の方が幸せになれるでしょう。
事実は1つだけど、自分の信じたモノの方が真実となりそれが正しいってこともあるのですね。
また事実は目に見えるモノだけではなく、事実かどうかの判断ができない状況というのもあります。
裕福な人から見て(あんな貧乏な生活は耐えられない)と思っても、本人が十分幸せと感じているのならその人にとってはそれが真実であり何の問題もない。
逆もありますね。
何が不満なんだろう??という状況にいるのに(いつも満たされない)と思う人にとっては満たされていないのが真実なのでしょう。
つまり、
真実とはその人が感じた通りに生きている世界であり、
事実とは異なってもそう思い込みたい空想の世界でもあります。
誰から見ても(この人はおかしい、信用してはいけない)と感じる人でも、その人に恋をしている状態の人にはそれがわかりません。
恋は盲目というヤツですね(;´∀`)
他の人には見えている(わかり切っているような)事実に目を背け、自分の真実だけで生きようとする状態が『現実逃避』
ある知り合いが妄想の中で大恋愛をした時の話です。
話を聞く限り完全に単なる友人としか思われていないのに、事実を受け入れようとせず現実から目を背けてばかりいた知り合いは、上手く行っているのだと信じ込もうとしました。
悩んでは私に相談をしたり、占いにも行って状況を伝えるのですが、占い師に「占わなくてもわかる」とまで言われ💧
それでも彼の気持ちが自分に向いていないと認めなかった彼女は、かなりの期間その状態を続けていましたが、ある日ふとしたキッカケで彼の本音を知ってしまいました。
その時になって初めて自分の想いを伝えたのですが「は? 友達に決まってるでしょ!」とバッサリ拒否されて、ショックを受け、こう言いました。
「私は付き合っているつもりでいた。
向こうが先に興味を示して来たから
私も好きになっただけなのに。
騙されたわ」と(;゚Д゚)
ちなみに2人は手も繋いでいないし、思わせぶりな態度を取られていたわけでもなく、友人として仲が良かっただけ。
私もあれこれ空想を楽しむし、好きな有名人を追いかけたこともあります。
だけど、有名人と自分は違う世界で生きている、相手はこちらの存在など知らないのだからと、現実と空想を分けて、事実ではないと理解した上で夢中になっているだけ。
この差はかなり大きいです。
妄想(真実)=事実だと思い込む人がストーカーになったり、現実を見ようとしなかった私の知り合いのような場合は相手を悪者にして自分は被害者だと思うんですね。
昨日のブログで書いた、雑に扱われているのに愛されていると信じている人も一種の現実逃避でしょう。
事実かどうかが関係のないケース、ちゃんと本当のことを知っていた方がいいケース、空想や妄想だとわかって楽しんでもいいケースなどしっかりと分けていないと、言葉は悪いけど自分がバカを見ることになります。
自分だけの真実を事実だと思い込んでしまうのは、警察が捜査もせずに絶対にこいつが犯人だ!と決めつけた上で証拠を集めるのと同じ。
恋愛の場合、自分にとって都合の悪い情報は排除して、彼が自分を好きだと感じられる証拠だけを集めようとします。
目が合ったらニッコリとほほ笑んでくれた(誰にでも愛想がいいだけ)
何度も目が合う(自分がその人を何度も見ているだけ)
いつも笑顔で挨拶をしてくれる(感じの良い人なら当たり前のこと)
※( )内が事実
だからこの人は自分のことが好きに違いない
妄想の恋に生きる人はこんな風に自分の気持ちではなく、相手の気持ちを勝手に決めつけてしまう(>_<)
感じることは主観的でもいいし、自分なりの真実で生きてもいいのだけど、自分以外の人のことはちゃんと事実を見ようとしなければ、どんどんおかしな方向に行ってしまうこともあります。
知りたくない、認めたくない、受け入れたくないと思っても、やっぱり事実は1つであり、現実逃避しても現実は現実のままなのです。