ミスをした時に自分を責めてしまう人と責めない人の違い、同じことをされても相手に怒りの感情を持つ人と持たない人の違い。
それは、
起こったことをどう受け止めているか?
だと思います。
何か新しいことにチャレンジしたけど上手く行かなかった。
『失敗』『しなきゃ良かった』と思う人は落ち込んだり自分を責めたりします。
勉強不足だったと捉える人は、反省して次はどうすれば上手く行くか?を考えます。
誰かと何かについて議論していたとして、相手が絶対に自分の主張を曲げようとしなかったとします。
でもこちらも自分の方が絶対に正しいと思っている。
勝つことにこだわる人なら、とことんやり合うかもしれません。
それでも言い負かされてしまったら悔しい思いをするでしょう。
言い負かすことができた場合は気分がいいかもしれませんが、やり合った相手との関係はその後どうなるでしょうか?
折れる=戦わずして負けるを選ぶ人は『相手の意思を尊重する』という意味であえて戦いません。
「負け」と思うのではなく「譲る」という考えができるのだと思います。
負けたと考えると悔しいですが、その場を相手に譲ったと思えば腹も立たないし、相手との関係にヒビも入りません。
我慢するわけでもないので、ストレスも溜まりません。
正しいと思っていることは自分が大切にすればいいことであって、考えの違う相手に押し付けてもどちらかが嫌な思いをするだけ。
職場で何かミスが起きた時、いわゆる犯人探しをみんながするのですが、誰のせいとも言えないケースの場合、結局は犯人探しに飽きてうやむやのまま何となくそれぞれが自分の仕事に戻る・・・ということがたまにありました。
あるいは誰かがミスをした時は「どうしてそんなことをしたの!」と、その人を激しく責め、使えない人として認定してしまう。
なぜ?を追求するのは大事だけど、それは今後また同じミスを犯さないために必要だからです。
だけど、やらかした人を責めたところでその人が落ち込んだり嫌な思いをするだけ。
「それよりも今後どうするか考えよう」という声は届かず、なぜか犯人探しが済んでその人を責めたら、はい終わり、ということが多かったのですよね💧
ある職場では、いろんな人が何度も似たようなミスをしては怒られて始末書を書いての繰り返しで、始末書を書くスピードだけがUPしたということがありました(苦笑)
有名人や政治家の失態&失言等のニュースも似たようなケースかな?と思います。
国会や記者会見で個人を責めたて厳しく追求するけど、本人が辞職した後はスーッとその話題が消えてしまう。
これも出来事をどう受け取るか、何を思うかの違いのように感じます。
個人の常識・非常識の問題だと捉える人はミスをした人を責めて気が済むと忘れる。
個人が目立っただけで組織が抱える問題と捉える人はその根本の解決をしようとする。
みんなが同じ受け止め方をするなんてことはあり得ないし、そうなればつまらない世の中になりそうですが、落ち込んで自分を責めやすくそのことで疲れているのなら、違う受け止め方もあるのだと知るだけでも違って来るように思います。
どういう受け止め方が正解かはわからなくてもずっと同じ過ちが繰り返されているのなら、これまでとは違う解決の仕方を見つけて行かない限り変わらないまま。
出来事をどのように受け止めるかで、
その後に取る行動は確実に変わって来ます。