他人を変えようとしても無駄、変えられるの自分だけ
という言葉をよく目にします。


確かに自分の思い通りにならないからと相手に変わって欲しいと願うのはどうなのかな?ですね、ついそう思ってしまいますが・・・。



そう思う人が多いので、相手を変えようと思うな、自分が変われば相手も変わるという風に様々な本などにも書かれているのでしょう。




ただ「変えられる」のは性格やその人の本質ではないと思います。



性格や本質はその人を作っているベースなので変えるのはとても難しい
し、そこが変わってしまうと違う人になるような気がします。




真面目で良い人だと思っていたのに、地位や名声、大金を手に入れたとたんに人が変わったような言動に出たとしたら、おとなしい人だと思っていたのに突然暴力的な行動に出たとしたら、それは元々ベースにそういう要素があったのでしょう。



弱さからつい流されてしまったり、不満や鬱憤を溜め込んで爆発させてしまうということもありますが、ぶれない軸(ベース)を持って生きている人は極端な行動に走らないと思います。




困難に陥った時や、逆に上記のような大成功を収めたなど、予想外の出来事があった時はベースとなる本来の性質が顕著に表れたり強調されるのだそう。



もしも今の自分が好きではない、変わりたいと思っているのなら、変えようとするのではなく何か良いものをプラスして行くという方法がいい(これが本当のプラス思考かな?)




無理をしてまで自分を変えようとするのは、これまで一生懸命生きて来た自分を否定することになります。



今の自分の良い部分はちゃんと認めてあげて、そこにこんな風になれたらもっと自分を好きになれるし自信が持てそうということを追加して行く感じ。




変わる必要のない自分を変えようなんて思わなくていいし、どう頑張っても直せない欠点があったとしたら上手に付き合う方法を探せばいいのだと思います。





今思うと単なる思春期だっただけなのですが、中学・高校生の頃は本気で人生をやり直したいと思っていました。
自分のことを何1つ知らない人ばかりの場所に行って、自分を1からやり直したかった。


なぜかはもう忘れてしまいましたが、とにかくその頃の毎日に満足できてなくて、環境さえ変われば自分も変われると信じていたのでしょう。



そう思っていただけで結局何もしなかったのですが、1回目の結婚で思いがけず元夫以外は知り合いがいない土地に引越をすることになりました。


その時はもうやり直したいと思っていなかったのですが、結婚をしても知らない土地で暮らすことになっても、大人になっていろんな経験を経ても自分は自分のままで、ベースとなる性格は子供の頃から今も変わっていないと気づきました。



そこからはずっと柔軟性を意識するようにしています。



つい我が道を行こうとしてしまう所がありますが、いろんな人の意見や考えを聞きながら、なるほどーそういう発想があったのか!と自分だけでは考えつかない意見に感心したり納得したりしています。




ステキだなと思う人を見習って、良いものを自分でも取り入れようとする感覚。




無理をして自分を変えなくても今の自分に何かを加えて行くだけなら比較的ラクだし、それだけでも言動は変わって来ます。



自分を変えるというのは意識を変えて行動に移すこと


行動が変わって初めて「変わることができた」となります。




時にはあまり深く考えず、失敗を恐れずに「やってみる」


それだけでも何か得られることはあると思います。

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