『天才を殺す凡人』という本を読みました。


前から(すごいタイトルだなぁ~どういう内容なんだろう?)と気になりつつ、ようやく読むことができました。



『天才』・・・創造性で評価される人

『秀才』・・・再現性で評価される人

『凡人』・・・共感性で評価される人





天才&秀才が良い人材で凡人がダメな人材という話ではなく、人にはどういう才能や長所があるのかという意味でタイプ分けされていて、物語風で読みやすかったし個人的にはすごく面白い本でした。



凡人という言葉には一瞬(え?)ってなりますが(^^;)、共感者とか支える人(支持者)という言葉に置き換えられるのかな?と読んでいて思いました。





自分はどのタイプなんだろう?

あの会社のあの人はこのタイプだったのかも?



と思いながら読んで行くと途中から、天才・秀才・凡人にもさらにタイプが分かれていて、そんな簡単には判断はできないのだと気づきます。





1番興味深かったのは、


誰の中にも天才・秀才・凡人の面があり

自分の中の凡人が天才(才能)を殺すことがある




という話。






例えば、こういう部分が優れている(才能がある)かも?と、何か新しいことに挑戦してみようと考えた時に



そんなことしても上手く行くわけがない

無難な人生&平凡な日々が1番




と自分で否定して挑戦をやめてしまうようなこと。

周囲の人に理解されず笑われて反対され諦めてしまったこと。



こうやって書くとあるある、そういうこと!って思いますよね(;´∀`)




これが天才を殺す凡人という言葉の意味のようです。




天才も秀才も凡人も組織には必要な存在







①独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人

②論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる人

③感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予測しながら動ける人





①=天才
②=秀才
③=凡人





組織の中では天才が創造したものを秀才が拡大させ、それを凡人がお金に変えるという役割を担っているのだそうです。





確かに創造する人にはそれに共感して支持する人や実際に実行に移す人が必要だし、相反する同士の間に入って橋渡し役を引き受ける人も必要。





天才がどんなに素晴らしいアイデアや商品を思いついても、こうすれば売れる!と策を練る秀才と、売上のために動いてくれる凡人がいないと形にならないというわけなのですね。





天才は秀才に興味がないけど、凡人には理解して欲しいと願う

秀才は天才に憧れつつも妬み、凡人のことは心の中で見下す

凡人は秀才を天才だと思い込み、理解できない天才を排除しようとする




という言葉にも納得しました。




天才がイメージしたことを「良いか悪いか」で判断するのが説明の得意な秀才で、「周りにどう思われるか?」など感情で判断して多数決に流されるのが凡人。



3者がそれぞれの役割を理解して協力し合わないとこういう状況になるそうで、天才を殺すのも活かすのも凡人がいかに天才に共感できるかにかかってくる・・・という感じのストーリーで興味深かったです。





つまり、


誰にも平等に何らかのカード(才能)は配られている。



自分の、あるいは誰かの才能を活かすのも殺すのも自分次第ということなのですね。




恵まれなかったカードを欲しがるのではなく、自分に配られたカードを理解し上手く活かすことができるかどうか、そして行動するためのストッパーが外せるかどうか。



ないものねだりをするのではなく、恵まれたものを活かして勝負しようとする気持ちが大切なのだと改めて思いました。