学生の頃は勉強ができる人(成績の良い人)が頭のいい人だと思っていませんでしたか?
私は興味のないものには本当に興味を示さなかったし脳が動こうとしてくれないので、理数系、古文漢文、歴史などはテスト前に慌てて必死に覚えテスト終了と同時に忘れていました(苦笑)
高校になるともう完全にそれらの苦手な科目にはついて行けず、1年の時には数学で全国模試か県の一斉テストか忘れましたが『1点』を取ったことも💧
白紙で出したわけじゃなく、多分マークシートだったから適当にどこかを黒で塗り潰して提出したはずなのですけどね。
1点って・・・。
狙ってもなかなか取れない点数だよな~!と、落ち込むことはなく面白い!と思ったのだから救いようがない。
これでは理数系を勉強しても無駄だろうと思ったので、2年生になると自由に科目が選択できたのでほとんどを得意だった英語を選択し、通知表に1とか2とか書かれないようにしました。
おかげで10段階中9と10ばかり(世界史や体育は除く。苦笑)、英語と美術以外は全然ダメだと知らない先生には頭が良いと思われ「もっと良い大学を受験しては?」と言われたりもして。
高校も大学も受験ではあまり苦労はしなかったけど、勉強に関しては本当に苦手でできない方でしたね。
だけど大人になって本当に自分が学びたいと思ったことを勉強して本を読めば理解はできるし、脳もちゃんと動いてくれるので、頭が悪いわけではないのだろうと(自分では)思っています。
学校の勉強は覚えるコツや理解しやすい教えられ方をしてもらうとか、記憶力の良い人だったら勉強はすればするほどできるようになるんじゃないかなぁと思います。
元々の差はもちろんありますが、勉強のできない人は頭が悪いというより理解ができないから脳がついていかないのでしょう。
あ~そういうことか~!と理解できたら意外とスラスラ問題が解けるということはあるはず。
社会に出ると、学生時代に成績が優秀だった人、すごく良い大学を出た人なのにこの人はもしかして仕事があまりできない?と感じたり、頭が良いはずなのにどうしてこんなことをしたらこうなるということが想像できなかったのだろう?と思うことが起きますね。
正解のある問題なら勉強して覚えさえすればその通りに答えられる。
だけど正解がないような場合、先のことまで想像して考えて発言しないといけない時があります。
ここまでならOKというラインがわかっていないと、ちょっとした悪ふざけのつもりが大変なことになるし、面白がってSNSに発信して炎上してしまうと慌てて謝罪したり削除しても、別の誰かがそのことをSNSで発信したら情報として延々と残り続け、自分の人生について回ることにもなります。
だから大人になってからは成績が良かった人=頭がいい人ではなくて、物事を客観的(俯瞰して)に見れる人、やっていいことといけないことを間違えない人、その言動をすればどうなるのかがちゃんと予測(想像)できる人が本当に頭のいい人だと思うようになりました。
似たような考えや感覚の人、イエスマンとだけ一緒にいると、やっていいことといけないことの線引きが甘くなるので、自分とは違うタイプの人や反対意見を言う人とも交流することは大事なのですね。
テレビやネットで信じられない・・・というニュースが流れて来る度に、本人だけの問題というより注意をしたり反対するような人は周りにいなかったのかな?といつも感じてしまいます。
仕事ができること、勉強ができることも大事かもしれないけど、それよりもいい加減なことをして周囲に迷惑をかけない、誰かを傷つけない、自分の持つ影響力をちゃんと理解できている人が頭のいい人なんだろうなぁ~と、オリンピック関連のドタバタ辞任を見ていて思いました。