夫に、
毎日よくそんなに書くことあるよなぁ~
と半ば呆れられつつも次々と頭に浮かぶことを綴っているのですが(夫もたまにこのブログを読みます)、なんだろう?やっぱり考えてしまうと行動に移すことはできないけど、あまり考えずに書き出すと止まらなくなるのですよねぇ~(苦笑)
ゼロから何かを生み出せる人もいれば、既存のものや方法に手を加えて自分なりの形に変えて行く人がいると思うのですが、私は手を加え自分なりの形に変えて行くタイプだと思います。
何でもいいのですが考える『ヒント』『キッカケ』となるキーワードや印象に残る話や出来事さえあれば、そこに自分の考えを足して行くという作業が好きみたいで。
ところで、大人の振る舞いって
大人になるってどういうことだと思われますか?
論理的に考え、冷静に判断をすること
いつまでも夢を追いかけていないで現実を見ること
周囲に気を遣い自分勝手な振舞いをしないこと
時には割り切って考えたりちょっとやそっとの嫌なことや辛いことは我慢をすることetc.
こういう感じでしょうか?
私はそういう自分の感情を殺すようなことが大人になることとはどうしても思えなくて、諦めたり我慢をすることではなく、自分のできることできないことを知り、他人と自分の違いを受け入れながらお互いを認め合って生きることだと思っています。
子供だって大人の顔色を見る子は見るし、クラスやグループの中でこの子に従った方がいいんだろうなという相手には渋々でも合わせたり我慢していますよね。
まだ自己確立される前って根拠のない自信は持っているけどそれを粉々に打ち砕かれることもあるし、何が正しくて何がおかしいのか自信を持って言えないのが子供。
いろんなことが見えて来た上で自分を信じ、また誰を信じるのかを決め、自分とは違ういろんな人たちがいるという現実を受け入れられるのが大人。
大人と子供の1番の違いはそういういろんなことを理解していること、理解した上で自ら選択すること、その結果等を受け入れていることかな?という風に思います。
みんなと同じことをしていれば安心、みんなに合わせてさえいれば幸せになれると思っている人は子供時代に植え付けられた大人の都合のような価値観を素直に信じたまま生きているのでは?とふと思いました。
子供の頃の方が自由で良かった、楽しかったと言う人もいるでしょう。
だけど子供時代の『自由』って、制限された中で無邪気に振舞うことだったはず。
一人では生活もできないわけだから、誰かの元で育ててもらい生きて行くしかない。
そういう意味では大人になってからの『自由』は本当の自由です、本来なら。
生活力と経済力さえ身につければ、何だって自分で決めて好きなようにしたいことができるわけですからね。
年齢としては大人になった今、自由を感じていない人はきっと子供時代も親や先生の言いつけを守って良い子であろうとした人。
アドラー心理学では約10才でどのように生きるのか決めてそのまま人生を歩んで行くと言われています。
子供時代に伸び伸びと自由に生きていなかった人は大人になっても社会に出た後は職場や仲間の中で浮かないように、好きな人ができたら嫌われないように自分を抑えてしまうのでしょう。
今度生まれ変わったらどんな人生を歩みたいですか?
1から人生をやり直せるとしたら、次はどんな人間になりたいでしょう?
この問いかけへの答えがあなたの『本心』です。
では今はどうしてそれができないのだと思いますか?
したいことができるようになるために何が必要だと思いますか?
こういう質問をしながら、絡んでしまい一人ではほどけない糸を一緒にほどいて行く作業がカウンセリングなんですね。
自分は大人だと思っていてもそれは年齢だけのことで、子供時代に間違って覚えてしまった生き方をそのまま続けているせいでしんどい、思い通りの人生が歩めていないことはあります。
そういう悩みを抱えている人はぜひ1度、上記のような問いかけを自分にしてみてください。
本当の意味での『大人』とは、自分の稼いだお金で限られた時間を大切にしながら、1度きりの人生を自由に好きなように楽しんでいる人です。
多くの人が子供っぽい人と思っているけど、どこか羨ましくも憎らしくも感じる人。
それが何にも縛られず自由意思で何事も選択し、自分の言動に責任を持ちながら人生を歩んでいる『本当の大人』だと思います。
人生はただ苦しいものでも我慢するものでもなく、
楽しんでこそ生まれて来て良かったと言えるでしょう。