成長過程で人はいろんな物や多くの人からの刺激や影響を受けます。
それによって考え方・気持ちなどは変化して行きます。


とくに自己を確立して行くまで
(自分が完成に近づくまで)の期間は、誰にそして何に影響を受けたかでその後の人生は違って来ることもあります。



何にも影響されないし、考え方も気持ちの変化も一切ないという人はほぼいないと思いますが、もしいたとしたら相当な頑固者か、世の中を拒絶して自分の殻に閉じこもっている人かも・・・。



ただ変わって行くものと変わらないものはあって、変わらないものというのは変わる必要がないものであり、その人がその人であるためのとても大事な部分です。


だからその大事な部分を持っていない、あるいは何が大事かわかっていなくてベースとなるものがない人は、他人の言うことやすることに振り回されて翻弄される人生になったり、自分の考えがわからない、自分の意見が言えない・・・ということになるのだと思います。



(☟こちらも合わせてお読みくださいませ)
「本気で変わりたいと思ったら人は変われる」は本当? でも変わる必要なんてあるのかな



ベースを持つことはそれぐらい大切なことですが、それを守り続けるのはとても大変です。



大人になり自分が確立されたと思っていても、より強い存在感を示す人に「それは違う、間違っている」というようなことを言われてしまうと、(そうなのかな・・・?)とやっぱり揺れてしまう。




私が好きな尾崎豊さんの『僕が僕であるために』という歌には次のような歌詞が出て来ます。


僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない


正しいことは何なのか
それがこの胸に解るまで



この、勝ち続けなきゃならない相手とはおそらく自分自身であり、いろんなことに翻弄され正しいことを見失いそうになる自分との闘いという意味じゃないかな?と解釈しています。





似たようなベース(価値観)を持った人の方が一緒にいて安心を得られるし、自分の存在意義が脅かされることもありません。


だけど残念ながら、
似たような人ばかりの集まりでは成長しないし違う価値観を持った人を肯定できなくなるというデメリットがあります。



いわゆる派閥とかチームや組織の場合、似た者同士の集まりやカリスマ性を持ったリーダーだけが仕切り他はそれに従っているだけの集団より、いろんなタイプの人が集まった集団の方がまとめるのは大変でも長い目で見ると良い、とよく言われるのはそういう意味です。



夫婦やカップルは似た価値観の人の方が上手く行きやすいので似た者同士は良いのですが、ときどきは違う感性や考え方を持った人と会って会話をし、刺激を受けたり違う視点での考え方があると知ることも必要でしょう。



そうやって多くの人の影響などを受けながらも、ここだけは絶対に譲れないと言えるような大切なベースを持てたら、他人に振り回されることもなく、自分が自分でいながら他の人のことも受け入れられるようになるのでは?と思います。




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