もしも恋人や夫(妻)の浮気が発覚したら


裏切られた!
信じていたのに・・・


ってなりますよね。



私も信頼していた人が実は信頼してはいけない人だったと気づいたことがあったし、大学時代は同じサークル仲間から彼を奪った友人がいて、私の彼が奪われたわけではないのに裏切られたような気持ちになったこともあります。




思わず『裏切る』の意味を今さら調べてみましたが(苦笑)、



◎味方に背いて敵方につく

◎約束・信用・期待などに背く



と書かれてありました。





結婚は確かに一種の契約のようでもあるので、既婚者の浮気は裏切りと言えるのかもしれません。




だけど、そもそも何を持って相手を信じていたのか?




実はこちらが勝手に期待して、



こうあって欲しいと願っただけだったのでは?


と考えるようになり、そして自分自身も、誰かにこうあって欲しいと思われているなんて気づかず期待に反することをして、裏切者扱いをされることもあるのだろうと思いました。





信頼できる人を見つけるのは、たくさんの似たような花の中からお気に入りの1本を選ぶようなもの






人を見抜くってすごく難しいことなのですね。


他人に見せているのがほんの一面(見せようとしている表の顔)だったりするからです。



ある程度知ると多分この人はこういう人だろうと判断して関係を築くので、当然後から知らない面を知って驚いたり、予想とは違う言動に戸惑います。




なので酷いことをされて傷ついた場合、裏切られたと捉えるより



そういう人だったとわかっただけ


と思えば案外平気なんじゃないのかな?と。





前に裏切りのような出来事があった時、「そういう人だと見抜けなかった自分はバカだった」とある人に伝えたら、



そんなことはない

相手の本質を見抜くなんて誰でもなかなかできない


だから途中で気づけて良かったと思いましょう


と言ってもらえ、その一言でなんだか心が軽くなって、




別に詐欺に遭ったわけでもなく


何かを奪われたわけでもなく

ただそういう人だと気づかずに

親しくしていただけだった。



この人はおかしいとわかった時点で離れられたのだから何の問題もないと思えるようになったのですね。





裏切られたと思うと、


自分も悪かったのかな?

何か気づかないところで相手に嫌われるようなことをしたのかもしれない



そんな風にしなくていい心配や自責をしてしまいます。





多分、サークル仲間から彼を奪った友人も「前からいいなぁと思っていたら相手からも好意を寄せられたので付き合っただけ」であって、サークル仲間を裏切ることが目的ではなかったでしょう。



浮気をする人も傷つけようと思って浮気をしたのではなく、目の前にエサがあったから我慢せずに食べた犬と同じかもしれません(すごい例え。笑)




平然と傷つけるような言動を取る人は、他者への思いやりに欠け自分のことしか考えていないだけ。



相手への不満があって浮気をするような人も、その不満を解消するために動こうとはせず他の人で誤魔化しているだけなので、浮気された側に原因があったとしてもだから浮気されても仕方がないと言うのは違うように思います。





裏切りのような行為ができる人は大切な何かを失うし、

裏切られたと感じる方は大切な何かを守っているから傷ついたのです。




本当に可哀想なのは大切にすべきものがわかっていない、簡単に誰かを傷つけることができる人



そう思えたら、何かあっても裏切られた自分というレッテルを貼ることなく乗り越えて行けるのではないでしょうか。

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