何かしなきゃ!と思うのに
何をしたらいいのか
何がしたいのかわからない
これは20代~30代にかけて私がよく思っていたことです。
漠然とした将来への不安はあるものの今よりも感覚だけで生きていたので、自分と向き合わず深く考えることもなかったように思います。
こんな人生を歩みたいというのが明確になかった頃は自分の個性を活かす方法がわからなくて何とか周りに合わせようとしたり、どうすればいいのかな?と自分探しばかりしていました。
だからあの頃は、相談に行くという感じではなかったけど、何か教え(ヒント&キッカケ)のようなものが欲しいと思って友人とたまに占いに行っていましたね(*^-^*)
今ならよくわかるのですが、
誰かに正解を求めても答えは出ない
ということ。
『自分の内面を見つめて考える』を抜きにして他人に
どうしたらいいですか?
どうしたら上手く行きますか?
など、漠然とした相談をして何が正解かを知ろうとしている限り、自分が本当に望んでいることはわからないままだと思います。
話が少し逸れますが、占い師の中にもこういう全てを委ねるような相談者が苦手という人はけっこういます。
具体的な悩みなら占い師であろうとカウンセラーであろうと相談に乗りやすいです。
だけど、そもそもあなたはどうしたいの?ということすらわかっていないまま正解を求めて来られると、ものすごいプレッシャーと責任を感じるのでしょうね(;^_^A
与えられた場所に当たり前のように毎日通いみんなで同じ勉強をして、わからない時は誰かに聞けば『答え』を教えてもらえる。
そういう学生時代を長く送って来たので、何かに刺激や影響を受けて「自分でも何かやってみよう!」と早くから独立心の芽生えた人や前向きなイメージを持ち抜群の行動力を誇る人以外は、ただ与えられたものを一生懸命にこなすだけの受け身になりやすいでしょう。
私もそうでした。
そして与えられたものをこなすだけの方がはるかにラクでした(;´∀`)
だからずーっと受け身でいて相手や周囲に合わせて生きることが苦じゃない人は、受け身で居続けても何の問題もないと思います。
私のように個性が強く自分らしくありたいと思うタイプが世間一般のこれが普通ということに合わそうとしていると、自己確立するにつれ人生に迷い始めいろんなことに違和感を持ち、何をしても満たされない💦となります。
みんなが普通にしている結婚を私だってしたいのにできないという焦りがあったし、何の夢も目標も見つかっていないのに何かをしなければいけないという切羽詰まった思いがありました。
だから留学しようか? いやいやそれより資格を取った方がいいんじゃない? 転職したら何か変わるかな?という考えにしかならなかったのですね(;’∀’)
好きな人と同じで、やりたいことも探して見つかるものじゃないような気がします。
好奇心を満たすように興味のある小さなことから手を出して、行きたい場所に出かけいろんな本を読んだりいろんな人からの刺激を受けているうちに、ふと「あ、これかも?」って思うものなんじゃないのかな。
だから今まだ何か見つかっていないのなら、出会っていないだけなんです。
黒柳徹子さんがこんな風に言われていました。
世の中の『普通』や『常識』に
慣れ過ぎるのは良くない
この2つを意識している限り、自分らしく生きることはできないし、何をするにしても誰かが決めたことをやらされている感がつきまとうので「つまらない」と感じてしまいます。
自分が本当にしたいこと、
それは自分の中にしか見つかりません。
何が正解かは誰にもわからないのです。
他人に標準を合わせていると『正解』を知りたくなりますが、自分に標準を合わせていると、自分が納得すること満足すること楽しいと思えることでいいとなります。
何かしたいのに何をしたらいいかわからない時は、
そういう時もあっていい
そう自分に言い聞かせながら、何に幸せを感じるのか、何をしている時が1番楽しいと思うのか、それを知るために毎日をもっと丁寧に自分の気持ちを大切にしながら生活をしてみましょう。
やりたいことが見つかった時に、「もう○○才だから今さら無理」とか言ってはダメですよ。
黒柳徹子さんは80才を超えてからインスタを開始したりYouTuberになったりしたのです。
やりたいと本気で思った時があなたのタイミングということ。
それと、自分で考えるということを習慣にしましょう。
仕事でも日常のことでも何かあるとすぐに頼る人がいますけど、そうやって自分で考えることをせず脳にラクをさせ続けていると脳が退化します💧
人を頼らず自分だけで何でも解決しましょう!と言っているのではありません。
ただ考えもしないですぐに頼るというクセは若いうちに直しておかないと、年齢を重ねた時に今よりもっと人間関係で悩んだり、仕事を続ける上でも影響は出て来るように思います。
やりたいこと&進むべき道が見つかった時に
しっかりと動けるように自分で考える力をつけておくこと。
それさえ身につけておけば、今は何も見つからなくても大丈夫。