オリンピック目前になって、開会式で使用される楽曲担当チームメンバーに、かつて障害のある同級生に壮絶ないじめをしていた人が選ばれていて、本人がSNSで謝罪するも騒動は収まらずとうとう辞任ということになりました。



私はどのような過去があったとしても、本人がしっかりと反省をして謝罪もして罪を償ったのなら、そこから人生をやり直すこと、新しい人生を歩むことに違和感はない方です。


覚せい剤や不倫で必要以上に叩かれている有名人を見ているとどちらかと言えば気の毒に思う方で、かと言って簡単に許されほんの数ヵ月で何事もなかったかのように平然とTVに出ているのを平気で見れるかと言えばそんなこともなく。


見たくない人がTVに出ているのなら見なきゃいいと思っているので、一緒になって叩こうとは思わないだけ。


そう言えば、元プロ野球選手の清原さんが少し前 久しぶりにプロ野球の解説に復帰しました。


元奥様が本当に立派な方なのでしょう。


逮捕後も子供さんとの交流はできていたようで、清原さんの息子さんは「いつかおやじのような野球選手になりたい」と言っていたし、解説に復帰した時も、批判の声より励ましの声の方がはるかに多かったように思いました。



清原さん以降、あそこまでのスター性のあるバッターを私は知りません。


もちろん素晴らしい選手は次々誕生していますが、このピッチャーとこのバッターの対決をオールスターで見てみたいと思えるような、三振すら絵になる清原さんのような強烈な存在感を放っている国民的なスター選手はいないように感じます。



多くの野球ファンから今も嫌われていないのは、そういう大スターだったからという理由だけではなく、豪快さの中に繊細さがあり、あんなに強そうで無敵な人に思えたのに、やっぱり同じ人間なんだなぁと共感できる要素があったからだと思います。







今叩かれている人は音楽の才能は素晴らしいようですが、25年以上も前の雑誌に語った過去のことで、謝罪をしてもこんなにも非難されるのは、やった事に対して誰も共感ができないからでしょう。




いじめというより傷害事件に近い行為であり、小学校から高校まで長期間に渡ってそういう行為を受け続けて来た同級生やそのご家族の心境を考えると、何十年経とうと、叩かれたので慌ててSNSで謝罪をしたぐらいで許せるようなことではないですね。



あの時代の背景や価値観もあったと言っている人、何回過去のことを持ち出されるのかな?と言う人、みんなの非難も集団いじめじゃないのか?と言う人もいますが、今回のことは身から出た錆のような気がします。



心から反省をして罪を償って来た人ではないから、オリンピック・パラリンピックには相応しくないと多くの人がそう感じた。



飲み屋で友人と語っていたのではなく、今でも読もうと思えば読める一般発売された雑誌の中で自らベラベラ笑顔で武勇伝のように語り、それでお金をもらっていたのだから。




今回初めてこの事実を知りましたが、そんな内容の本を出版した人も、当時いじめに参加していた人も、それを止めなかった周りの人たちも、知らなかった&反省しているからとオリンピックへの参加を続投させようとしていた関係者も、どうかしているとしか言いようがない。




結局、良いことも悪いことも全部自分に返って来る因果応報という仏語はまさにその通りなのだとしみじみ思いました。



笑いながら誰かに向かって投げ続けていたブーメランが、忘れていた頃に特大ブーメランとなって自分の人生を壊すほどの威力で戻って来たということ。



最近は政治家も有名人も、その人の本性や悪事が暴かれやすくなっているように思います。



そういった出来事を他人事とは思わず、清廉潔白に生きることなどできなかったとしても、日頃から自分に誇りを持てる生き方をして行きたいものです。