次から次へと新しいミュージシャンやタレントが出て来ていますね。
人気が出るか出ないか、ヒット作に恵まれるか恵まれないかは、その人の実力だけではなくタイアップだったり誰かとの出会いだったり、『運』に左右されることも多いです。
歌は抜群に上手いのに良い曲に恵まれないと売れないし、まだそんなに実力がなくてもいわゆるゴリ押しを得意とする事務所に入り映画やCM等に使われると売れるし、歌も素晴らしくヒット曲にも恵まれ爆発的な人気を得ても「これは自分が本来やりたかった音楽じゃない」と、あっさりその地位を手放してしまった元WANDSのボーカル・上杉さんのような人もいます。
どの世界でも、何かがキッカケとなってその人の持つルックスやカリスマ性とマッチしたり、売れる条件が揃いさえすれば、時には本人の実力以上の評価を得てしまうことがあります。
だから、その人が『本物』かどうかはあまり関係なかったりするのですよね・・・。
もちろん人気を維持している人たちは実力もあり努力もされているからこそですが、埋もれて目立たない中にも素晴らしいダイヤの原石のような人や、美味しい店があったりするのも現実で。
少し車で走った所に、いつも行列ができているパスタ屋さんがあります。
2・3回チャレンジしてようやくあまり並ばずに入ることができたので、満席の店内で待っている間はどれほど美味しいのか当然期待が高まりました。
ところが、
出て来たパスタが全く美味しくない💦
心理学では、人は自分が苦労したことを無駄だったとは認めたくないので、並んで食べた料理を美味しくないとは言わないのだそう。
同調心理も働き、多くの人が通う店の料理が美味しくないと感じる自分の味覚が変なのだと思い、美味しくなくても「美味しかったー!」とインスタにUPしてしまう。
でも、食べることが大好きな私と夫にそういう心理は働かないのでしょう(苦笑)
あまりの不味さにビックリして、家で食べるパスタの方がはるかにおいしい、一体なぜこの店が流行っているのか??と思ったほどです。
ありませんか?こういうこと。
流行っているから行ってみたけどたいしたことない・・・という経験。
私はけっこうあるのですよねぇ~~
まぁ味覚の違いもありますが、きっと店の雰囲気が良いとか行きやすい場所で駐車場が広い、周りにあまり飲食店がないなど味以外の条件が揃っていたのだと思います。
ミュージシャンで言うならば、染谷俊さんの昔の歌が今でも好きで、『僕の両手』は世界で1番好きな歌なのですが、『愛にあいたかった』『今夜勝ちにいこう』等は何度も繰り返し聴いて勇気をもらった名曲です。
何がしたいのか、もがいてばかりいて自分探しの連続だった私は、
自分で勝手に自分あきらめてないかい
歩き続けることを無意味に感じてないかい
夢を話すこと恥ずかしがっていないかい
終わらない旅を歩いてるのは君だじゃないよ
自分の居場所を探しているのは君だけじゃないよ
という『YELL』の歌詞にはとくに励まされました。
LIVEにも何十回と行きまくり、かなり遅めの青春は染谷で謳歌したようなもの。
だからこれほど素晴らしい歌を作詞・作曲して、音大卒の腕前でピアノをガンガンに弾きながら歌う人が、どうしてもっと売れて多くの人に認められないのかがずっと不思議でした。
知らない人が耳にすると、歌声とか昔の曲調などがちょっと尾崎豊さんに似ているらしく「これって尾崎?」とよく聞かれたのですが、染谷は染谷なんですよ。
尾崎も好きだけど。
本人が万人受けを狙っていたとは思えないし、きっと売れるものより自分が歌いたいものを歌う人なので、ずっと長く(今も)歌い続けて来られたことこそが幸せなのかもしれませんが。
こんな風に、まだ見ぬ本物が埋もれていることは多々あって、堂々とおかしな言動を続けていてもカリスマであり続ける人もいる世の中なので、時には多くの人に同調するだけではなく、自分の感覚や感性だけで自信を持って『良い』と思えるものを見つけることも大切なんだよなー、と『僕の両手』を聴きながら思ったりします。
自分探しをしている人、自由を求め彷徨っている人には昔の染谷の歌はオススメです。