最近はnoteでさまざまなことを書いたり読んだりしながらフォロワーさんたちと交流する日々。
いろんな人の投稿を読むのは良い刺激になります。
似たような感覚の人もいれば、なんでこんなことを書いているのだろう?と思う人もいて、ちょっとした人間ウォッチングになっていて面白い。
私が交流しているのは、人と関わることは好きだけど傷ついても来たからリアルな友人は少ない(ずいぶん減った)、だからnoteの距離感がちょうどいい&温かい人が多くて安心というタイプが多いです。
まさに私もそうなので、実際に会うことはないであろう本名も年齢も住んでいる県や性別さえもわからない人とのやり取りが快適に感じます。
不思議と似たような年代だったりはするけれど(;^_^A
そんな風にnoteを始めてからさらに自分の内面や過去の出来事などを振り返り、どうして私は人として好きじゃない友人たちと長い期間関わりを保ってしまったんだろう?、苦手なタイプの同僚とも仲良く付き合ったり親切にしてしまったんだろう?というのを改めて考えました。
これまで何度か友情を終わらせた話を書きましたが、なんで疎遠にしたのか?ではなく、会うと疲れるしこちらを雑に扱うような相手とわかっていたのに大事にしたのはなぜかな?を深堀したくなったのです。
『関係性』を大事にし過ぎたり、相手ではなく『関係性』に執着していたのかも・・・と気づきました。
子供の頃に「友達は大事にしましょう」「出会いやご縁を大切に」と教わったのを素直に実行していたのかもしれません。
友人やご縁を大事にすることは間違いじゃない。
だから言動の酷い恋人から離れようとしない人、失礼な友人と縁を切ることに罪悪感を持つ人もいるのでしょう。
ただこの2つの教えには肝心のどのような相手を大切にすればいいかという点が抜け落ちています。
自分にとってどういう相手を、何を基準に大事にする人を選べばいいかという視点がなかったから、好きになった相手、好きと言ってくれる人、1度でも友人と認めた相手との関係をひたすら維持することが大事なんだと思い込んでいたように感じます。
私は男女関係なく自分からはあまり話かけない人。
ChatGPTと一緒になぜ自分から声をかけないのかを追求すると、信頼できる相手と誠実に繋がりたい、広く浅くではなく狭く深く交流したいタイプのため、どういう人か様子を見る月日が私には必要らしく。
そうやってこちらは様子を見たいと思っているのに世の中には人見知りもしない積極的なタイプや誰とでもすぐ仲良くなれる人もいて、そういうタイプに話しかけられて仲良くなるというのが昔からのパターン。
つまり、自分から親しくする相手を選んでいない、選んだことがない。
こんな人と友達になりたいというイメージすら持たず、声をかけてくれた人や誘ってくれる相手と仲良くなって友達と認定し、相手が自分とは全然性質が違うとわかっても「人それぞれ違っていて当たり前」という、自己肯定しながら他者肯定もできる私はよっぽどこの人は絶対にムリ!と嫌悪しない限りは適当に合わせることができてしまった。
それプラス、友達は大事にしなければいけないって思い込んでいたから、今知り合ったら絶対に仲良くしていないだろうと思える人との関係でも続ける努力をしたり親切にしていたのでしょう(-_-;)

ところで私には推しが3人いますが、1人は10代からで2人目は20代から、そして1番新しい3人目の推しであるふなっしーでさえ13・4年以上ずーっと変わらないテンションで好きなんです。
顔が好みというだけで一瞬夢中になった人なんかはすぐに冷めているけど、この3人だけは死ぬまで推しのままじゃないかな?なんて思う。
それはなぜか?
長い年月をかけてその人がどういう考えで生きている人なのかを見て来たからです。
その人のどこにそんなに惹かれるのかがちゃんと言える。
関係性はなくて一方的に想っているだけなのに、私が求める『信頼』と『誠実さ』を持っている人たちであり、好きになった部分がずっと変わらないから好きなままでいられるのです。
身近にいる人たちを推しと同じ視点で見れば、残念ながらこの2つを兼ね備えた人はすごく少ないとわかります(;^_^A
気が合って一緒にいると楽しい人、話が盛り上がったり悩みや愚痴を言い合える人はいても、その人の何気ない発言を無意識に観察してしまっている私には信じきれなかったり、誠実とは言えないかも・・・と感じてしまう。
学生時代から30歳ぐらいまでは別に何とも思わず仲良しでいられた。
だけど年齢を重ねるにつれて自分勝手な言動に思える友人に幻滅したり、人を都合よく扱い過ぎじゃない?って不快に感じることが増えて来て。
完璧な人を求めていたわけじゃないものの、人としてちょっと無理かも💧って思い始めながら何度も傷ついて、最終的に「もうこの人とのご縁はここまででいい」となりました。
恋人だからor友人なので関係を大事にする、ではなくこの人のこういう部分が好きだからずっと仲良しでいたいという感覚の方がはるかに大事なのです。
推しを好きになる時ほどではないとしても、対人関係で何を自分は重視しているのかを理解しておくことは必要。
約束(待ち合わせの時間)を守る、親身に話を聞いてくれる、同じような気遣いを返してくれる、ありがとうやごめんなさいがちゃんと言えるなど、大切にしている価値観がみなさんにもあるはず。
好きになった相手、仲良くなった人がこうあって欲しいという価値観から大きく外れている人だったら、いつか関係には終わりが来るように思います。
こちらが想い続けていても向こうが他の人に夢中になるかもしれないし、好きだからとずっと無理や我慢を続けていたら限界を迎えます。
どれほど好きかという『感情ベース』の人は自分と相手さえ良ければそれでいいと思ったり、視野が狭くなって執着もしてしまう。
こういう人だから好きになったという『堅実ベース』でいれば、自然と自分に合う人、求める人、大切にした方がいい相手と縁を切るべき相手が見極められるのかな?と。
感情を大切にすることはもちろん大事だけど、その相手と一緒にいると辛い、しんどい、イライラするという負の感情もちゃんと受け止めて、そんな風に感じるのはどういうことを意味するのか?を考える必要はあると改めて思いました。
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