今日は☟前回のブログの続きというか、もう少し掘り下げた内容になります。
人それぞれでいい ~対人関係の基本~
離婚を考えている夫婦に関する記事を見かけました。
妻は綺麗好きでお風呂のお湯やタオルは毎日交換、洗濯も新しい水で洗いたい人。
夫は細かいことは気にせず、お風呂のお湯は洗濯に再利用する人。
何年間か我慢をして来たものの、その部分だけは話し合っても解決しないので、衛生的なことに関しては譲れなかった妻が「もう我慢の限界!」となり離婚を言い出したようです。
夫は離婚離婚と騒ぎながらも家から出て行こうとしない妻を見て本気じゃないと判断し、「あんなに神経質では誰とも暮らせないよ」と呆れています(;´∀`)
これってけっこうあるあるなんじゃないでしょうか。
おそらく妻は綺麗好きな自分は普通だと思っていて、夫とはその点に関して全く合わないことに気づいていなかった。
あるいは気になっていたものの結婚すれば何とかなる、好きだったら平気、相手を変えたらいいぐらいに思っていたのかもしれません。
これは感覚の違いなので(持って生まれた性質)、変えるとか合わせるって意外と難しいです。
こだわりがない同士なら衝突は起きにくいのですが、
神経質&ズボラ
真面目&いい加減
ホームパーティ好き&家に人を呼ぶのはイヤ
夜の夫婦生活は絶対に必要&レスでいい
ワーカホリック&家庭(家族)が1番大事
という真逆の組み合わせは、相手に同じことを求めたり、相手を変えようとすればするほど上手く行かなくなります。
人にはある程度合わせられることと応えるのが難しいことがあって。
よっぽどのことがない限り、綺麗好きな人が「散らかった部屋の方が落ち着く」とはならない。
つまり、自分にとって変えることができない部分は相手も同じ。
タオルやお風呂のお湯を2日に1回交換する人がおかしいのではなく、1回で交換する方がもったいないという概念&そこまで神経質になる必要はないと考えているだけ。
それなのに、自分は正しい・普通だと思っている人は相手を変えようとするので、さらにストレスが溜まるんですね(+_+)
綺麗好きな人が自分で部屋を好きなように片付け、洗濯なども自分のやり方で自分がするのなら何の問題もないのです。
だけど「なんで私ばっかり!」と文句を言い出すか、相手に自分と同じやり方で綺麗にしろと求めるから問題が生じます。
多くの人は
自分が変わらなきゃ=もっと我慢して合わせる
という自己犠牲を選ぼうとするか、
相手がおかしい=相手を変えようと必死になる
ことをしてしまいがち。
小さめの丸い入れ物に、大きな四角い物をピッタリ合わせて入れようとする、みたいなことをしているわけです💧
婚活は相手探しでもあり自分を知ることでもあると私はよく伝えているのですが、それは自分のことをわかっていないまま頭の中のイメージだけで相手を選び、結婚後に合わなくて悩む人が多いから。
自分の感覚や考えは自分にとって普通なだけで、違う家庭で違う親に育てられて来た人には別の普通があります。
自分にとっての『普通』は誰かにとっての『普通』とは違う
恋愛や婚活中にそこまで意識して相手探しをすれば結婚後の「こんなはずじゃなかった」は少ないと思います。
でも条件や理想で相手を探すとか、好きになったからと合う合わない抜きにして結婚を決めてしまう人が多いので、結婚後に恋の魔法が解けて衝突するようになる。
自分ではそれが普通だと思っていても、相手と違っていた場合に
ある程度合わせられることか
絶対に譲れないことなのか
を知っておくことは大事です。
理想はあってもいいのですが、理想と現実は違う、むしろ違う方が多いという気持ちでいる方がしんどくならずに済むのでは?
例えばブーケって同じ色の同じ花ばかりで作らず、赤いバラにかすみ草を合わせたりピンクのチューリップを入れたりしますよね。
バランスが取れていたら違う花同士だからこそステキなブーケが完成するわけで。
人と人も、譲れない部分以外は違っていても問題ないし、持っていない部分を補い合えていると考えればバランスは取れるんです。
自分の思い通りにならない相手を変えようとする人は、多分誰と一緒になっても上手く行かなくなります。
*自分の中で歩み寄れることと
絶対に無理なことは何かを理解しておく
*どうしても無理なことは
相手も自分も変えられないと覚えておく
だったら他に合う人を探そう!と思うか、それでもやっぱりこの人がいいと思うかは自分次第。
合わない人を選んでおきながら相手か自分が変わればいいなんて考えていると、上記の妻のようにストレスが溜まり続けることになるかもしれません。