忘れていたと言うか、今の夫と1番仲のいい友人以外は誰にも言わずにいた苦い出来事があります。
それは20代の頃に知り合ったばかりの男性から合意のない性行為を強要されそうになったこと。
親しい友人の男友達で1度3人で飲んだことがあって。
同級生やバイト仲間等ではなく、友人があの人と何で知り合ったのか忘れてしまったけど、今で例えるならSNSを通じて知り合ったような感じかも?(あの頃はスマホもSNSもなかった)
友人は恋人がいて男友達も何人かいるタイプ、私は元カレを絶賛引きずり中で同じく男女の友情は成り立つ派。
その男性に遊びに行こうと誘われた時(友人は用事があると断った)、2人で会って大丈夫な人か確認した上で「大丈夫。2人で行っておいで」と言われたためそれを信じて出かけたんですね。
その帰り道に突然ホテルに連れて行かれそうになりました。
断ると、土地勘のない真っ暗な山道のような場所で「だったら車から降りろ!」と言われてしまったので仕方なくホテルまで行くことに。
まぁなんだかんだと適当なことを言って相手のヤル気を失くすことに成功したので未遂に終わったんですけどね。
危うく襲われるとこだったと伝えた時に初めて友人がその人とそういう関係を持っていたと知りまして(◎_◎;)
恋愛感情がなかったとしても肉体関係を持っている男性を友達として紹介した友人の頭の中が全く理解できませんでしたね・・・(私に会わせる必要はなく2人で会っていたら良かったのに、なんでわざわざ?と)
恋人がいて他の男性ともそういう行為をするのは友人の自由。
だけど私は恋人と男友達はきっちり分けて好きでもない人とそういう行為はしたくないし、友人とその男性がそんな関係だと知っていたら絶対に2人で会うことはしなかった。
「大したことじゃない」とあの頃は自分に言い聞かせていたけど本当は怖かったしショックでした。
だから記憶から抹殺してなかったことにしていたのだけど、なぜか年月がかなり経ってから友人に対する怒りのような嫌悪感が出て来て、それ以外にも思うことがいろいろとあったので友情を解消。
今なら、知り合ったばかりで強引にそういう行為を求めて来た男は100%おかしいと言い切れるけど、当時はよく知らない男性と出かけた私が浅はかだったと自分を責めました。
だから気まずい雰囲気のまま家まで送ってもらった時、「ごめんね(その気にさせたのなら悪かった)」と私の方が謝ったんですよね、変だけど。
裏切られた気分になり深く傷ついていたのに、友人にも軽い雰囲気で伝えて悲しい気持ちを封印して。
友人の感覚は理解できないし脅迫してそういう行為を迫る男性も間違っているとあの頃もそう感じたはずなのに、
のこのこついて行った私も悪い
と思ってしまったので、その男性と友人を責める気になりませんでした。
自分にも落ち度があったのでは?
性被害に遭った人が私と同じように感じたら、直後は平気なフリをしたり自責したり、相手を気遣う様子も見せたかもしれません。
何年か経って冷静な判断ができるようになってから「いや悪いのは向こうだ! 許せない!!」と訴える人たちの気持ちが私には何となくわかります。
青信号を渡っていて信号無視の車に轢かれたり通り魔に突然刺されたら100%被害者として同情されますが、いじめや性被害に遭った場合などはなぜか
被害者側に(そうされるような)
原因が何かあったのでは?
と、周りの人や被害を受けた本人でさえそう感じることがあります。
こういう発想が私たちの中に根付いているせいで加害者の立場で考えたり、被害に遭った側の落ち度を責めるというおかしな世の中になっているのでしょう。
痴漢に遭えば「露出の多い服装をしている方が悪い」、人気のない場所で襲われたら「夜道を1人で歩くからだ」、合意のない性行為を受けて被害を訴えると「ホテルまで行っておきながら何を言ってるのか」と被害者の落ち度が必ず指摘されますよね。
どうして加害者側を庇うような発想をしてしまうのか?
①『何も落ち度がなければそんな目に遭うはずがない』という考えに基づいているから
②『加害者の方が被害者より優れている部分がある』という差別的な理由によるもの
③被害者に対して嫌悪感がある=同情できない雰囲気を持っているなど純粋に可哀そう、気の毒と思えない
④幼少期から親、先生など身近な大人のズルイ言い分&言い訳を聞かされて、立場が上の相手に反論したり悪く言ってはいけないという刷り込みがされて来た(=親に逆らうなんてとんでもない、NOと言ったら仕事が無くなるみたいな)
他にもあると思いますが、保身のために加害者側に立つ人以外が被害者を悪く言うのはこういう4つの理由によるのかな?と。
私たちには「そこに貴重品を置いていた方が悪い」とか「弱い立場の人間は我慢して耐えるしかない」みたいな発想が沁みついてしまっているのでないでしょうか。

某TV局が依頼していた第三者委員会の調査結果が発表され、今また元国民的アイドル男性の性加害問題が注目を浴びていますね。
報告書が出る前は「9000万円ももらっておいて・・・」「家まで行ったらその気があると思われても仕方がない」など、やはり被害者を訝しみ加害者を援護するような人たちがいました。
すごい才能を持った人、権力のある人、魅力的な人や有名な存在に弱いと言うか、長い物には巻かれろというのは人間の本能なのかも。
被害に遭った側の落ち度を責める
これをしている限り加害者側に有利な社会となるし、
落ち度があったのなら
何かされても仕方がない
みたいな考えはすごく怖いと思います。
多くの男性は一人暮らしの家に好意を持っている女性が来た=向こうも自分に気がある=そういう行為をOKと捉えてしまうらしく。
まぁ理解できなくはないですが、いざそうしようとして相手が拒んだ場合は勘違いだったってことでSTOPすべきですよね。
その上で「誤解するような言動はしないで欲しい」と伝えて「軽率な行動で誤解させてごめんね」と相手に謝ってもらうなりすれば済む話だと思うんですよ、本来は。
なのに思い通りにならないと怒り出したり(脅すとか)、嫌がる相手を無理矢理に・・・という理性も知性もない振る舞いをしたあげく、お金で解決すればいいと考えるのは『思い上がり』『自己中心』『女性をモノ扱いしている』と言われても仕方がない。
加害者が超有名人だったから多くの人の感覚が狂ったかもしれないけど、親子ほど年齢の違う男性ですからね。
男性の方は交際してなくても(年齢差があっても)その気になれば行為をしていい、俺とできるのなら女性も嬉しいはずという考えだったかもしれませんが、女性にも気持ちや考えはあるのでそれを尊重しなかったからここまでの騒ぎになったのです。
女性が未経験の可能性もあれば避妊もされず妊娠してしまうこともあるし、そのせいで一生子供が産めなくなるというリスクがあるので、性被害を受けた側の落ち度を責めたり大金を手に入れたのにいつまで過去を持ち出すのかとか、たった1回のそんな程度のことで・・・みたいに言う人は自分の感覚が正しいと思い過ぎでは?
そもそもそんな程度のことかどうかは無関係の人間が言うことじゃなく、被害を受けた人がどう感じたかで決まるので(パワハラも同じ)
そういう行為を(誰とでも)気軽にできる女性はいるけど、結婚するまでは絶対にしたくない女性もいるので自分のモノサシで測ってはいけないんですよね。
痛い目に遭いかけて私はよく知らない男性の車に乗るのは良くない、応える気がないのなら気軽に家に行ったらダメということを学びました。
被害に遭った女性も今度はきっぱり「NO」って言えるんじゃないでしょうか。
「どうして家に行ったんだ?」「2人だけで家で会っていたらOKと思われても仕方がないのでは?」みたいに思ってしまうのもよくわかる。
だけど「どうして?」って言うのはそういうことが起きたから言えることであって、まさかそんな目に遭うと思ってもみなかった場合(被害女性は加害者の自宅とは聞かされていなかったという説もある)、問題が起きた後からそんな風に言われても辛いだけ。
例え被害者に落ち度があったとしても、責められるのは加害者の方です。
そこに貴重品を置いた方が悪いのではなく、無防備に貴重品が置いてあったとしても盗んでいい理由にはならないということ。
これが基本。
どれほどの功績を遺した人物だったとしても、誰かを深く傷つける間違った行為に関しては「おかしいですよ」と言える世の中にならないと、同じことが繰り返されてしまうでしょう。
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