まだ落ち着きそうにない某県知事の問題。



昨年不信任決議案で辞任した直後にまた知事選に出馬して、予想外の圧勝で当選してましたけど( ̄▽ ̄;)



自らが設置した第三者委員会でもパワハラが認定され、告発者探し(告発潰し)をしたのは違法とまで言われたにも関わらず「あの時の判断は間違っていない」と言い張ってますね・・・





まぁこの問題がどうなるのかも気になりますが、それより気になったのは「自己肯定感が高いから非を認めない」みたいに言ってる人がいたこと。





自己肯定感=自分は絶対に正しいと信じる、みたいに思っているんだろうなぁ💧





あの知事の自己肯定感が高いかどうかはわかりませんけど、自分の非を絶対に認めようとしないことが自己肯定ではないです。




こんな風に間違った意味で使われてしまうと自己肯定感が高いのは良くないって思われて、本当は自己肯定できているのに「自己肯定感が低いので・・・」と、物事が上手く行かない言い訳として多用する人が増えるだけなんじゃないのかな?





自己肯定っていついかなる時も「私は正しい」って思うことじゃないです。




失敗して落ち込む自分、思い通りの人生を生きられていない自分、好きな人に振られてしまった自分など、認めたくない事実や結果はそのまま受け止めるけど、そういう自分を否定したりダメ出ししないで「結果は残念だったけど私はよく頑張った」みたいな☟考え方が自己肯定。


1番の味方は自分自身だということを忘れない






なのでこのケースで自己肯定感が高いと言えるとしたら、知事があの時の自分の判断は間違っていたと認めて謝罪も反省もして、その上で「2度と同じ間違いはしないと約束するので知事の仕事を続けさせて欲しい」というような発言をした場合だと思います。





でもあの人は他者の意見は聞かず言い訳したり誤魔化したり、気に入らない内容、不利に働くことは頑なに認めない。



自己肯定感じゃなくてプライドが高いんじゃないでしょうか。




「間違っていたと認めたら終わり」と捉えて認めないのであれば、むしろ自己肯定できていない人だと思います。







私の知り合いで「自信がない」「自己肯定感が低い」とよく言う人は、


他人のアドバイスに耳を傾けない

内面と向き合わない

言い訳が多く論点逸らしをする

自分以外の誰かや何かのせいにする



ってことが多いです。


そして実際に自信がなく自己肯定感が低いと言うより頑固で自己愛(自己保身)の強い人っぽい(;´∀`)




認めたくない点は認めないし改めもしない。
いつでも自分が被害者で己を守ることに必死。





それがいけないとは思わないけど、楽しそうな人(幸せそうな人)や自己肯定感が高そうな人に苦手意識を持ち相手をバカにすることで自分を保とうとする、敵対心を剥き出しにすることさえあるのでやっかい(;´Д`)





もちろん自己肯定できている人の中にも「自分はいつでも正しい」みたいな考え方の人はいるでしょう。




でもそれは必ずイコールではなく、穏やかで優しいけど気は利かないみたいな2つの性質を持っているのと同じだと思います。









「自分の非を認めないって自己肯定感がどんだけ高いの?」なんて考え方は、ひと昔前の「結婚していたら一人前で結婚できない人は人間性に問題がある」というような酷い決めつけと同じ。





日本語ってこういう本来の言葉の意味とは違う間違った使われ方が多いですよねぇ。






自分の価値や存在意義を肯定的に受け止められていても、誰だってミスをしたり時には過ちを犯します。


間違った自分、誰かを傷つけた自分のことだけは認められず反省もしないのなら自己防衛本能が高い=弱さの表れだと思います。





物事を損得勘定で考え、人と比べてしまったり勝ち負けにこだわったり。



非を認める=負けることだと思っているから絶対に認めない。





だとしたらやっぱり某県知事は自己肯定感が高いんじゃなく逆に低いんでしょうね。





知事じゃなくなったら意味がない、判断を間違えたと認めることは屈辱的で耐え難いこと。


そう考えて自分を貫こうとしているのなら、ありのままの自分には価値がないと思っていることになるので。







大事なことなので何度でも書きますが(苦笑)、自己肯定感とは上手く行っている自分だけ認めるのではなく、やらかしたり間違えた時も真摯に受け止め反省はするけどこれで何もかも終わったなんて思わず、どんな自分も生きていていい、価値のある人間なんだと感じることです。



なのでいつも自己否定してしまう&自分のことが大嫌いでやりたいことも恋愛も結婚もできないとか、「非を認めたら負け、人生終わる」みたいな極端な思考になっている人以外は自覚がなくてもそこそこ自信があって自己肯定もできているんですよ。




本当に自分には何の価値もないと思っていたら、受験も就職も恋愛も結婚も友人が欲しいと願うことすらムリだと思いませんか?




給料が安過ぎる、誰かに雑に扱われて悲しい、(婚活しても)いい人がいないとか、そういう不満&嘆きも口にできないはず。





文句や不満を言う時点で「私は大切にされる存在だし、もっと高い評価をもらっていい人間だ」と信じているわけですからね(^_-)-☆





自己肯定できるって特別なことじゃなく、もちろん悪いことでも決してなくて、そもそもそんなに意識することではないぐらい当たり前の感情。





自分の価値を認めているからこそ私たちはもがいたり苦しんだり、振られたり間違いを指摘されて傷つきながらも頑張って生きているわけで。





自信がない&自己肯定が低いことを理由にすればいい(そのせいにしてたらOK)と思い込まされて来たせいで、いつからかやたらとそういう言葉をみんな口にするようになったように感じます。





昭和や平成の頃は「自信がない」と言う人はいても自己肯定感がどうとかは誰も言ってなかったですからね(^^;)





ごく普通に生活できている私たちは、ちゃんと自分を信じられて自己肯定できているからこそ恋愛や対人関係で悩むんだということをお忘れなく。




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