自虐したり自責言葉を口にする時、


そんなことないよ
よく頑張ってると思う



とか


あなたは悪くないと思うよ


みたいなコメントを無意識に求めている、ってことはないでしょうか。




例えば「おいくつですか?」という問いに「何歳に見える?」って聞くのは、年齢より若く見えると言って欲しい時しか言わないように思うんですよね。


ズバリ「45歳」って当てられるとちょっとムッとしませんか?(;^_^A





「もう私85歳になるからね、まもなくお迎えが来るよ」と先に聞いて、全然その年齢に見えない場合は「えー! 70代にしか見えないですよ!!」って心からそう思ったことを言えるけど。



「何歳に見える?」と40半ば以降に見える人に聞かれたら、意識的に(無理のない範囲で)「30代後半ですか?」と見た目より若い年齢を言うなど、空気を読んで相手の喜びそうな答えを言う人は多いんじゃないかと思います。





だけどそういうのが習慣となれば、喜びそうな返しをする方も求めてしまう方も



何かを期待されていることが
重荷&面倒に感じる



相手に期待してはガッカリする



ので、対人関係の悩みが尽きないのでしょう。






「こんな風に返して欲しい」という期待は誰もが無意識にしています。





普段は『共感』『肯定』を求めるのに、自己否定やダメ出しを口にした時だけは「そんなことない」という『否定』を求めるなんて、どれだけ私たちは複雑な考えをしているのでしょうか💧






残念ながら多くの人は他人が自分をどう思うか?に関心を持っても、他者そのものに関心を持つことはあまりしません。




憧れの推しや好きな人に夢中になるのも結局は自分の欲を満たすためだったり、関心があるのはあの人と私に何かあるかもしれない可能性だったりします。





つまり自分の視点でしか見れないんですよね、いろんなことが。





そのため、程度の差はあるもののほとんどの人が自分にしか関心がなくどこか自己中な部分を持っていたりする。





ただ話を聞いて欲しいと共感を求め、ある時は本気のアドバイスを欲しいと願ったり、こういう内容の時だけは肯定せず「そんなことないよ」を当たり前に望むとか、かなり高度な要求を周りにしているわけです(;^_^A




なので期待し過ぎを自覚して、相手の反応が思い通りじゃなくても必要以上に感情を揺さぶられないようにするはけっこう重要なスキルだと思います。









少し前までの私はどのようなタイプでもある程度は受け入れ可能だったけど、そんな風に生きて来たらすごく疲れるようになり。




今はもう似た感覚の人とだけ親しくしたいと思うようになり長年の友人たちとどんどん距離を置くようになりました。





こういう話をしたら
こんな反応を返して欲しい




ずっと私の中にあった思いです。





私がそうしているから相手にも同じように返してもらいたいと期待していたのですね。



「そんなことないよ」と言って欲しいのに言ってくれない人たちと交流するのは辛かったし、自分ばかり「そんなことないよ」と相手が欲しがる言葉を与えていたように感じました。




ただ「そんなことないよ」を相手が本当に求めていたのかまではわかりません。




結局は私だって独りよがりだったのでしょう。







友人たちと距離を置くようになり、自分の中にある『他者への期待』『モヤモヤの正体』についてよく考えるようになりました。







どういう関係の相手であろうとも裏切られた気持ちになったり、認めてもらえない、愛されていないのでは?、大事な友達と思ってもらえていないetc.と感じるのは、



私はこういう人間で
その良さをわかってもらいたい
(わかってくれるはず)

こんな風にされると嬉しいから

そうして欲しい



というのを自覚している、もしくは無自覚でもいつも相手に求めているから。






ただ相手もこちらに何かを求めているので、求め合いが上手く行けば=2人の間でバランスが取れていたら関係は続くのかも?






与えないのに求める

与えているつもりが相手の
負担や迷惑になっていることに
気づけない




まぁだから、こういうことをしていたらどんな関係も終わるんだろうなと最近つくづく思います。





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